コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・社会人)、次女(コツメちゃん・高校1年生)の4人家族です。

お土産のこんにゃくで今年初おでん。

今週のお題「あったか~い」

 

こんばんは。

 

コツメの母さん。です。

 

我が家の長女、大学3年生のピヨ姐が先日お友達と小旅行へ行ってきました。

 

茨城県久慈郡にある袋田の滝と紅葉を見に行ってきたようです。

渋いなぁと思いましたが、楽しかったそうです。袋田の滝の紅葉はもうだいぶ落ちてしまっていたけど、他の場所で紅葉を堪能したみたいでした。

 

そして

 

「けんちん汁をたべたんだけどさ…その中に入っていたこんにゃくがすごい美味しかったの。今までの人生で一番美味しいこんにゃくだったから買ってきた。」

 

と言ってお土産をよこしました。

 

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かわいい一口こんにゃくです。

 

たしかに美味しそう!

パッケージには「蒟蒻発祥の地 奥久慈」って書いてあります。

私、茨城県にこんにゃくのイメージがなかった(こんにゃく芋イコール群馬県のイメージ)ので

興味がわいて調べてみました。

 

いつこんにゃくが日本に伝わったかは縄文時代に芋といっしょに伝わったとか、中国から仏教と一緒に伝わったとか諸説あるみたいです。

最初こんにゃくは扱いが難しかったので奈良時代の頃は高級品だったそうです。

それがだんだんと出回るようになり、室町時代にはこんにゃくが町で売られるようになります。

そして江戸時代に入ると、水戸藩の久慈郡に住んでいた中島藤右衛門がこんにゃくの生芋を干して乾燥させて粉にし、長期保存させる製法を発見したのだそうです。そしてこのこんにゃくの粉は水戸藩の専売品(明治時代に専売は解除)となり水戸のこんにゃくは全国に広まっていきました。 おしまい。

 

知らなかったよ…。

こんにゃく自体は大昔からいろいろな土地で出回っていたけれど、いま食卓に出ているこんにゃくの基礎は江戸時代の水戸藩にいた中島さんの発明した製法ってことなのですね。

 

勉強になりました。

こんにゃくにも歴史ありですね。

 

さてさて、

 

どうやって食べようかな…と考えてまず半分はおでんにしました!

 

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今年初のおでんです。

最近はもう寒いのでおでんはいいですね。お腹がいっぱいになる割にはけっこうカロリーも低いんですよね。

あたたまるし、栄養もあるし、いいよね〜。

だけどスープをいただきすぎちゃうと塩分のせいであとで喉がかわくよね〜。

と思いながらいただきました。

 

こんにゃくは大好評でみんなぱくぱくと食べていました。

 

そして残り半分の半分は翌日

ひき肉と鷹の爪といっしょに炒めてだし汁で煮て砂糖と醤油で味付けしました。


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そして残った残りは写真を撮り忘れましたがけんちん汁にしました。

 

こんにゃくを堪能した二日間でした。

 

心も体もぬくぬく。

 

コツメの母さん。でした!