コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・大学3年生)、次女(コツメちゃん・中学2年生)の4人家族です。

不登校時代、娘の将来を不安に思った私が心療内科の先生に言われて腑に落ちた言葉。

こんばんは。

 

コツメの母さん。です。

 

公立中学校に通うコツメに

 

「ねえねえ、コツメちゃんの学校には怖い先輩とか不良っていないの?」

 

と聞いてみました。

私が中学の時はいわゆるひとつの不良がたくさんいました。

ボンタン長ラン角刈り脱色、龍の刺繍の財布…です。

 

コツメは

 

「いないよー。」

 

というと

 

「不良はいないけど、不登校はけっこういる。」

 

と言いました。

 

うちもピヨ姐さんが学校休みがちだったのでそういう話を聞くとちょっと胸が痛みます。

きっとなかなか理解されない不安や理由があって学校に行けないのだろうと思います。

 

ピヨ姐が高校でがっつり学校に行けていない期間、コツメの母さんはなかなかその事実を受け入れられず、毎日怒ったり泣いたり落ち込んだり焦っていました。

その時に相談させてもらっていた心療内科がありました。

 

病院までうちから歩いて行けるし、思春期外来もあったので行ってみたのです。

先生は淡々と話す男の先生で私と同じくらいの年齢でした。先生はいろんな子をみているからけっこうきついこともさらっと私に言います。

私は子どもがこうなったのは私のせいかも…と思っているのでなんというか先生の何気ない一言も責められているように感じたこともありました。

 

ですが何度か通った頃、私はふと先生に不安を打ち明けたのです。

ちょっと勇気がいったのですが

 

「先生、娘はこのままだと将来どうなっちゃうんだろうと思います。いつか自分で生きて行けるのでしょうか。ずっと辛いんでしょうか。」

 

すると先生はたんたんといつもの涼しげな感じで

 

「生きて行けますよー。」

 

と言いました。

 

え?ほんと?

 

と思いました。

すると先生は自分の両手を水平に広げていいました。

 

「平穏な気持ちで暮らせる選択肢が大抵の子はこのくらいあるとするよね。」

 

そして先生は水平にしていた両手を上にあげて30度くらいのV字を作ると

 

「娘さんはその選択肢がこのくらいなの。だけどね、ここを見つけたら生きて行けるよ。」

 

と言いました。

 

そのとき私、

 

あ、そうなんだ…!

 

とパァっと納得したのです。

 

そうか、そういう選択肢が人より狭いだけで、そこが見つかれば暮らせるんだ…。動けるようになるんだ…。

と思ったのです。

 

不思議なもので先生の一言で急に前向きになれたのでした。

今はだいぶ元気になったので、Vの中にいるのかもしれません。

 

もう数年あの先生にはお会いしていませんが、いつかありがとうと言えるといいなぁと思っている

 

コツメの母さん。でした。