コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・社会人)、次女(コツメちゃん・高校1年生)の4人家族です。

バレンタインの思い出とデリカシー。

今週のお題「チョコレート」

 

こんばんは。

 

もうすぎてしまいましたがバレンタインデーの思い出を書きたいと思います。

 

コツメの母さんにとってバレンタインデーの思い出は苦い思い出です。

フラれた思い出ではありません。

 

あれは中学一年生のバレンタインデーの日。

 

私の通っていた中学は市内でも有名なワル中学でした。

そのためか先生方が厳しかったです。

 

お菓子や漫画は持ってきてはいけないのは当たり前ですが、もし持ってきて見つかった場合の罰が怖かったです。

 

一度、入学して初めて入った部活の帰りに廊下にキャンディーの包み紙が落ちていただけで大問題になり、部活の先輩が大目玉を食らったのをみたコツメの母さんはとてもビビっていました。

中学校ってこわい…。

それと同時に、あのセロファンの包み紙が一枚落ちていただけでなぜあんな騒ぎになるんだろう…と思う自分もいました。

 

そんな学校だったのでバレンタインデーの前から

 

「学校にチョコレートを持ってきては絶対いけない。もし持ってきたら…」

 

というお達しがでていたのです。

 

そして当日。

 

私の担任の男の先生が自分の社会の授業の時間に突然言いました。

 

「男子は廊下へでろ。」

 

ぞろぞろと男子は廊下へ。

 

男子がいなくなると先生はいいました。

 

「女子は全員カバンを机の上に乗せる。そして手は膝の上。」

 

荷物検査が始まりました…

 

先生は女子生徒の机の上に乗せられたカバン(正確には学校指定のナップザック)を開け、中身を取り出し、小さなポケットも全部チェックをし始めました。

 

私の番になると先生はこう言いました。

 

「お前は幼稚だから持ってきているはずだ。だから入念に調べる。」

 

「へ?」

 

と思いました。

それと同時に本当にいやな気持ちになりました。

 

今の世の中なら大問題になるようなことが平気で行われていた時代です。

 

女子の見られたくないようなこまごましたものまでどんどん机の上に出されていきました。

本当に恥ずかしかったです。

 

この30代の教師はなんてデリカシーがないんだろう…と心の中で思いました。

 

私が幼稚なのは私だってわかっているけど、むしろチョコレートをもってくるのはおませな女子だよ。(今でいうヒエラルキートップのキラキラ女子たち)

うちのクラスだったらクラスで一番の美人のKさんとKさんとなかのよいHさんのはなやかグループだよ。

しかもみんな要領いいから早く学校に来て吹奏楽部の部室にチョコレート隠してたのにさ。

 

とぶつぶつ考えていました。

 

本当にいやな先生でした。

 

結局クラスでチョコレートが見つかった女子はいませんでした。

 

これが私のバレンタインデーの思い出です…。

 

そして3年後に高校へ入学。

高校に入るとチョコレートを持って来ても漫画を持って来ても殴られることなどありませんでした。

正座もありませんでした。

売店にはパンが売られ、ジュースの自動販売機がありました。

冬はタイツを履いてもよい。

カイロをもってきてもよい。

 

どんどんどんどん

自由。

 

大人になるっていいなぁと思いました。

 

おばさんになってから、偶然あのとき同じクラスだった友達と話す機会がありました。

バレンタインデーの荷物検査で担任が本当にデリカシーなかったという話をすると彼女もぶんぶん頷いていました。

 

彼女は三者面談の時に

 

「娘さんの成績が落ちています。先日の荷物検査(バレンタインとは別の日)でこんな紙を机の中に持っていました。気の緩んでいる証拠です。」

 

みたいなことをいわれ、彼女が誰にも見せずに密かに書いたポエムを母親の前で読まれたのだそうです。

こんな恥ずかしいことってあります?

私、聞いていておばさんなのに心がきゅうってなりました。

 

やっぱりあの先生はデリカシーなかったわ…と再確認した思い出話でした。

 

さてさて

 

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今日はおいしいイチゴがやってきました。

あまおう

です。

 

コツメちゃんは割り当てられたイチゴを

半分は練乳につけ、

半分は牛乳+練乳でいちごみるくで食べていました。

 

私も練乳で食べました。

 

練乳ってどうしてあんなに美味しいのでしょうね。

昔は缶に入っていましたよね。

よく母が缶切りで穴を二箇所開けてつつーってスプーンに乗せてなめていました。

美味しいんですよね。

 

コツメの母さん。でした!