こんばんは。
コツメの母さん。です。
東京神奈川の私立中学の入試が1日から始まりました。
ピヨ姐は中学受験塾でアルバイトをしているため、自分の受け持った生徒さんがどうなったか気にかけていたようです。
ここ数日は塾もいつもと違った忙しさのピークでした。
ピヨ姐も生徒さんが入試の最中ですがその間も塾に質問に来る子がいるかもしれないので待機したりしていました。
昨年は受験日に応援のために学校の校門でまったりしていたのですが、今年はコロナのためありませんでした。
ピヨ姐さんは個人情報になるので自分の受け持った生徒さんがどこを希望してどこに合格したかは絶対に言いませんが、
「みんな合格もらえたみたい。」
とホッとしていました。
なんだか私までホッとしました。(そしてピヨ姐が小6の頃を思い出してお腹が痛くなりました。)
そんな夜、コツメの母さんの友達からメールが届きました。
「受験、終わりました。第一志望は残念だった。親子で泣いたけど第二志望の学校へ行くことになりました。初めての中学受験、こんなに大変だとは思わなかったよ。この経験を糧にするよ。」
と書かれていました。
第一志望も第二志望も素敵な学校です。
おめでとう!と返信しました。
きっと友人は「12歳のかわいい子どもの不合格は酷だ」と思ったと思います。
私ももしピヨ姐が一番行きたかった学校に不合格だったらきっと「かわいそうに…。こんな辛い思いさせて!」と思ったに違いありません。(ちなみに第二希望の専門コースは落ちています)
だけど、今になって”頑張ったのに不合格の経験”もよいことだって本当に思えるのです。
不合格を「失敗」という言葉にするのは乱暴だとコツメの母さんは思いますが、あえて失敗って書きますね。
若い頃に失敗した経験はすごく大事だと思います。
辛い経験って乗り越えたら後になって生きてくるんですよね。
親は子どもが辛いのをみるのが辛いですよね。
コツメの母さんはついつい子どものゆく道に落ちている障害物をほいほいよけてあげてピヨ姐がまっすぐ歩いて行けるようにしていました。
だけど、小さい頃から大怪我しない程度の障害物にちょいちょいぶつかってこけて、ちょっとだけ怪我させるのも大切だったんだと後で思ったのです。
(ピヨ姐の場合、HSCという敏感な子どもだったのでその方法は微妙ではあるのですが …。でもかなりいろいろな経験が不足していたと思うのです。)
小さい怪我をすることで子ども自身が感じ取って、
「じゃぁ怪我をしないようにするにはどうしたらよいか。」
と考えるようになったり、友達が怪我をした時には
「きっと痛いだろうな。」
と人の痛みがわかり、思いやることができるようになるからです。
それに親がずっと手を回して子どもを守ってしまうと、子が大人になった時に初めて失敗を経験した際に受けるショックが大きくなってしまうこともあると思ったのです。
・・・とここまで書きましたが
これは
中学受験だけの話だけではないですよね。
スポーツの試合で負ける
ピアノやバイオリン、バレエのコンクールで入賞を逃す
クラスで立候補したけど選ばれなかった
選手に選ばれなかった
失恋…
などなど
いろいろですよね。
つまりは
たくさんの経験をしたらそれに比例して人間は成長するんだな。と当たり前のことを最近実感しているという話です。
では
おやすみなさい!
コツメの母さん。でした!