こんばんは。
コツメの母さんです。
アメリカでの痛い思い出 後編になります。
前編 中編 はこちら!
前編中編のざっとおさらい
15年以上前、コツメの父さんのアメリカ大学院入学のため一家で渡米することになったコツメ家。
最初の2ヶ月は父さんが単身でアメリカへ行き、家、車を用意して私とピヨ姐(3歳)を待つことになりました。
一人暮らしに必要な生活用具や家具の一部は同じ大学院で学び、帰国予定の一人暮らしの先輩から譲り受けていました。
そしてとうとうコツメの母さんとピヨ姐はドキドキしながらアメリカへ。 つづく。
それでは後編スタートです。
入国して一週間
コツメの母さんとピヨ姐はロサンゼルスの空港に降り立ちました。しばらくすると父さんがへらへらとやってきました。
私たちは父さんが購入した中古のトヨタ車に乗り込み、まずはスーパーマーケットに行って買い物です。
そして初めて住まいに入りました。
ソファもあり、テレビもありましたがテーブルやベッドがありません。
最初の一週間は近所を散策したり、挨拶したり、銀行で口座を作ったりしました。
私が荷造りした日本からの荷物は絶対にすぐ使うものは空輸(一週間)、あとのものは船便(一ヶ月くらいかかったでしょうか)で送ったのですが、それでも足りないものがあり、週末は家具を買いに当時日本にはなかった(厳密にいうと一度日本に来て撤退しています)IKEAへ行きました。
人生初のIKEAは安くて使い勝手の良さそうな家具や、めずらしい文房具もあり、来たばかりなのにまとめて帰国した時のお土産にお絵かきセットをたくさん買っておきました。
IKEAでは大きなベッド、布団、洋服ダンス、ダイニングテーブル、リビングテーブルなどを買いました。
あっという間の一年。帰国準備が始まりました。
さてさて季節はすっとんで翌年の夏。
無事に学位をとり、コツメ家は帰国することになったのです。
コツメの母、アメリカ生活ですっかり疲弊していました…。
人間関係に気をつけて気をつけて暮らしていたのに我慢を上回る子どものことでトラブルがありました。(こちらの事件も今回書いている出来事とともに人生で辛かった事のトップクラスの思い出になっています。)
コツメの母さん、今思えばほんとに未熟だったのですがとうとう同じ境遇でお付き合いをしていた日本人のお母さん友達2名に対して堪忍袋の尾がきれてしまったのです。
怒りというより悲しみがバーっと襲って来てどうしようもありませんでした。そして気持ちを伝えたのです。
ですが…。
悪いことに日本だったら母子対母子になりますがアメリカの狭い日本人コミュニティになるとここに父親も入ってしまうことがあるのです。
すると一人のお父さん日本人留学生が大学院のクラスメイトの個人的なパーティ(父さんは参加していない場)でコツメの父さんの悪口を吹聴。
おかげで一部の外国人クラスメイトから卒業直前で「コツメの父さんはひどい差別主義者だ。」という烙印をおされてしまいます。
父さんはこんな時もなにも言いませんでした。クラスメイトの奥さんを通じて電話でこのことを知らされた私はめちゃくちゃ辛かったです。私のせいだし。
本当に本当に精神ズダボロでした。
やっと帰国直前の三週間前くらいかな…
全く関係ないところで追い討ちをかける痛い出来事が起きたのです…
や、やばい。
おわりませんでした。
後半②へ続く…!!
次回最終回
ありがとう。車やさん。
出そうと思ったけど出せなかった手紙…。
明日完結。
コツメの母さん。でした!