コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・大学2年生)、次女(コツメちゃん・中学1年生)の四人家族です。

アメリカでの痛い思い出 中編 アメリカで暮らす準備

こんばんは。

 

コツメの母さん。です。

 

今日はアメリカで経験した思い出すと心がずーんとなったり頭抱えて「アアッ」と声がでてしまうお話の続きです。

 

そして思いがけず長くなりそうなので後編ではなく中編となりました。

あと記事一個で終わるかな???と心配になってきましたw

 

前編はこちら

 

www.kotume-kasan.com

 

さて、コツメの母さんはこのブログでも時々書いてはいますが、今から15年以上前、父さんのアメリカ留学のため家族で一年間ロサンゼルスに滞在したことがありました。

 

父さんはお勤めしていた会社の社費(学費・生活費・渡航費・引越し代などすべて会社が負担)で留学することになったのですが、条件の1つに家族も帯同がありました。

 

その頃子どもは幼稚園の年少さんだったピヨ姐(3歳)だけでコツメはまだ天国でした。

 

父さんは英語の読み書きはできたので無事に入学試験にはパスしたものの、英会話に難ありということで入学前にアメリカの大学で英語の授業を受けるというのが入学の条件付きになってしまいました。

 

田舎育ちのオール公立の父さんはザ・暗記至上主義のテストには滅法強いテストの申し子でしたが、リスニングとスピーキングはとても苦手でした。当時の義務教育の英語の授業ってリスニングとスピーキングはあまり時間を割きませんでしたよね。先生だって英語を話せなかったと思います。(このことがこの一年、大変な苦労や失敗を生む要因になるのです。)

 

父さんと同じ学年として入る日本人はかなりの人数がいて心強かったものの、ほとんどの方がいわゆる都会のいいとこの子だったんだろうな…と思われる方で、帰国子女だからリスニングとスピーキングは無問題だったり、帰国子女ではないけれど仕事で英語を使ってきたと言う人ばかり。当時父さんが一番英語を話せませんでした。

 

そのため、英語クラスに参加するために急いでアメリカに行かなければならず、私とピヨ姐は住んでいた日本の家を片付けたり、幼稚園の退園届けをだしたりしてから二人で渡米することになったのです。

その間の2ヶ月で父さんは住む場所を決め、生活できる最低限のものを用意して英語を学ぶための大学に通いながら私たちを待つことになりました。

 

まず住居は車の運転ができない私でもピヨ姐を連れて歩いてスーパーへいける長屋のようなおうちになりました。

セキュリティもバッチリで住居の敷地内は安全でした。

長屋がぐるっと四角にならび真ん中は共有の庭があり、長屋にはいろいろな国の家族が住んでいました。日本人もいました。

 

父さんが大学に通うための車

は日本人スタッフが経営しているサンタモニカにある車屋さんで新車・中古車販売、買取、整備、点検、修理もう安心して請け負ってくれる(もちろん日本語で!)お店で父さんが購入しました。

 

そして家財道具

父さんが一人で暮らす2ヶ月の間に使う最低限の家財道具なのですが、コツメの父さんは入学するアメリカの大学院を卒業する日本人(つまりは先輩)から一式譲り受ける(有料 値付けはもちろん先輩)やり方があり、父さんも先輩から譲り受けていました。

 

入学が決まると入学前からネットで同じ大学院に入学が決まっている人同士が繋がったり、先輩と繋がって日本にいながらやりとりが盛んになります。

その間に、生活用品の売買の情報もやりとりして、アメリカに行ったら見せてくださいと予約したりする人もいました。

 

全く知らない人から買うよりも、同じ大学の先輩後輩、しかもプロフィールでバックグラウンドがわかるので騙したり騙されたりすることなく安心して買えるのでこの方法を使う人もいました。

 

というのも

家財道具や車、生活用品を安価で揃える方法としては、当時日本ではあまり盛んではなかったけれど、アメリカでは個人で車や家具の売買をする方法が根付いていたのです。

日本でいうジモティーみたいなサイトがたくさんあり、それを利用するのです。

 

商品をネットでみて、連絡を入れ、下見をする約束をしてその方の家などを訪れて交渉するというやりかたです

ですがそれにはトラブルもつきもので、ちらほらあると聞いていました。

 なので父さんはトラブルを避けて先輩から買うことにしたのでした。

 

 父さんは先輩からソファ、テレビ、小さな机、ふとん、鍋、お皿、FAX付きの電話機などなど一人暮らし分の最低限のものを買い、後で私たちがきてから足りないものを買いに行くことにしていました。

先輩から買ったそれらの中古品は、1つ上の先輩が買ったものだけではなく、もう日本に帰国しているはずのもっと上の先輩方から代々譲られてきたものもあると思います。

 

 

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そしてこの生活用具一式の中に、ゴルフバッグがありました。父さんはゴルフ経験がまったくなかったのですが、『もしかしたら留学中にやることがあるかもしれない…』と思いこちらも譲り受けたのでした。

 

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そしてこのゴルフバッグがのちに私を悲しみのどん底(大げさw)に突き落とすアイテムとなるのです…。

 


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父さんの購入した車もです…。



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まだ何も知らず、母さんは日本でピヨ姐が幼稚園に行く間せっせとパッキングに勤しんでいたのでありました…。

不安や心配を抱えながらね…。

 

そしていよいよピヨ姐を連れて渡米した夏。

 

 

後編に続く!

 

コツメの母さん。でした!