こんばんは。
コツメの母さん。です。
連休が明けましたね。
この3連休のとある朝、ピヨ姐の部屋に入った時…。
まだ娘は眠っていたのですがふと見ると勉強机の上にかわいい封筒が置いてありました。
きれいなな色のシールの封は開けられていて、ピヨ姐の読んだあとがありました。宛名に
「ピヨ姐先生へ」
と書いてありました。
『昨日、アルバイトだったから生徒さんにもらったんだなぁ。メアドを知らないから仕方ないけど、お手紙って子どもらしくてかわいいなぁ。』
と思いながらリビングに戻ってご飯を食べているとピヨ姐が封筒を持って起きてきました。
「昨日ね、生徒さんにもらったんだけどさ…。すごくうれしいよね。」
と言ってバイト先の担当している子からもらったことを話し始めました。
その子は6年生でもうすぐ中学入試の本番を迎えます。
いや、この朝もきっと一月受験のはずです。
もうすぐ受験が始まるから授業で先生と会えるのも最後になるから。お別れだから…と感謝のお手紙でした。
真面目口調ではなく時々脱線しながらピヨ姐に話しかけるような内容だったみたいです。
今まさに本番が始まろうとしている時に手紙を書いてくれたこと。きっと生徒さんも不安だったり緊張だったりしていると思います。気持ちを落ち着かせて切り替えたかったのかもしれません。
そしてこの日はコツメの父さんの父親の命日でした。。
ピヨ姐のおじいちゃんです。
おじいちゃんが亡くなったのはピヨ姐が小学6年生の時でした。
その頃、体調が悪くなったとはいえ実家で療養していたおじいちゃん。でもお正月の頃から症状が悪化。
入院したのですが、すぐに亡くなってしまったのです。本当に入院してからは急でした。
コツメがまだ幼稚園の年少さんだったので、連絡を受けた父さんとピヨ姐はその日のうちに先に静岡の実家へ。
私は支度をしてコツメを連れて翌日静岡へ帰りました。
そしてお通夜と葬儀に参加し、父さんは後片付けのために残り、私とピヨ姐とコツメ三人で新幹線で自宅にもどったのです。
お葬式の時、葬儀場と火葬場は隣同士だったのですが、いったん外の通路を歩きます。
あるきながらとても寒いなぁ…と思いました。一月もど真ん中でしたからね…。
自宅に帰るために浜松駅に向かった時も寒かったし、葬儀を終えたばかりだったのでへとへとでした。
さて、おじいちゃんが亡くなって一週間後のことです…。
ピヨ姐が
「体調が悪い…喉がすごく痛い。」
と言いだしたのです。
「え?」
おでこをさわるとすごい熱がありました。
冷えたし、疲れたからな…と思いました。中学受験も始まるので塾も忙しく免疫も落ちていたのだと思います。
学校を休んで小児科へ連れて行くと溶連菌にかかっていることがわかりました。
数日後には一月受験が始まろうとしていた時でした…。
下記は私の当時の日記から抜粋です。
2012年1月17日
溶連菌の結果がでて看護婦さんに
「え~ッ」
とピヨ姐と言ったら
「六年生ですか?受験ですか?」
とすぐに聞かれました。
「はい。」
と口をそろえて言うと、看護婦さんはカレンダーを見ながら
「焦らなくて大丈夫よっ。二日休めば塾も行けるし、受験には間に合うからね!!」
と娘を元気づけようとしていました。私は心の中で
『大丈夫…。ピヨ姐、全然焦ってないから…。むしろ焦ってくれ。』
と思ったのでした。
そして以下のことを言われました。
お薬10日分をしっかり飲みきってください。
2日飲んで解熱した時点で学校へ登校できるから許可証出しておきます。
10日分飲んだ後で再検査しますから1月31日に来てください。
い…1月31日って受験大本命の前日じゃぁん。きっとインフルも大ピークのころじゃぁん。
…省略。
おしまい。 以上日記でした!
このあとのピヨ姐の受験は
確か4日後の21日に1月校受験(あくまでも受験に慣れるための練習で受けました。受かっても遠くて通えない学校です。)→無事合格
1月21日〜受験が終わるまで
ここからピヨ姐は大事をとって小学校は受験が終わるまで休むことにしました。
これははっきりいってズル休みでした。
クラスのみんなからいろいろあって無視されており、学校へ行くのが辛そうだったからです。せめて受験が終わるまでは心平穏で過ごさせたかったのでした。
1月31日溶連菌の再検査
この日は前回看護師さんに予約を取ってもらう際に誰もきていない朝一番の時間を取ってくださいました。
インフルエンザなどをもらったらと病院のスタッフさんが配慮してくれたのです。
翌日の東京神奈川の中学入試は健康体で受けに行くことができました。
2月1日 午前A中学校 午後B中学校 受験
2月2日 午前C中学校 午後D中学校 受験
第一志望校合格
終了
となりました。
私の最初で最後の中学受験は受験直前におじいちゃんが亡くなってしまったこと、溶連菌に罹ってしまったこと、2つの突然の出来事がありました。
こう読むとだいぶバタバタしたと思うのですが、その当時は一生懸命すぎて、あまり感じていませんでした。
この大事な時期(第一志望の受験までまだ2週間前あったから直近ではないですが)おじいちゃんのお葬式に行ったことは迷いませんでした。
溶連菌になっても後悔しませんでした。とにかく目の前の起こってしまったことにとにかく対処対処の日々でした。
ただ、本当に体調管理は大事だなぁと思いました。
それからすっかり忘れていたんですが、昔の日記を読むと、その前の12月はコツメちゃんがマイコプラズマ肺炎になってしまい、母さん、てんてこまいだったようです。
ピヨ姐に感染させないようにすごく気を使っていたようです。
本当にバタバタでした…。
アルバイト先の6年生の子のお手紙と命日で中学受験の時のことを思い出した
コツメの母さん。でした。