こんばんは。
コツメの母さん。です。
タイトルが変なのですが、父さん(私の夫)の話です。
うちの父さんは自分では普通だと言いますが、ちょっと変わっています。
まぁ、普通って何?と言われれば答えられないし、人はみなそれぞれにクセみたいなものを抱えていますもんね。
それを自分でわかっている人もいれば気づいていない人もいます。
うちの父さんは気づいているようで気づいてない感じです。
さてさて、昨日、私と娘二人がリビングにいた時に、玄関の方で
どすうううんん
と音がしました。
リビングの床まで振動が伝わりました。
でも我が家の女性軍は誰一人反応していませんでした。
しばらくすると
「みんな冷たぁい。」
と言いながら父さんが入ってきました。
「俺、階段から落ちた…」
と。
暗闇の階段で落ちたみたいです。すごい音でした。
そして
「見てよー。」
と言うので見てみると手のひらの皮がちょっと剥けて血が出ていました。
よくみると
腕にも猫におもいっきりひっかかれたみたいな切り傷が数本…どうやら腕時計のベルトですったようです。
あと足にも切り傷ができていました。
ここ3日くらい、父さんの様子がおかしいです。
いや、若い頃の父さんはこういう人でした。忘れていたけれど…。そう、父さんらしい感じが戻ってきてなんだか懐かしいです。
父さん、何やら自分でプログラミングしてアプリを作り始めたのです。
そうしたら夢中になってしまったらしく、だらだらとリビングに長居もしないうえ、ご飯を食べるのも忘れて(超食いしん坊なのに!)ずっと部屋にこもっているのです。
今朝もお茶をとりにきてそこから午後まで出てきませんでした。
楽しそうで目がキラキラしています。
部屋から出てくるとアプリの名前を決めたとか、ドメイン登録したとか進捗を伝えてきます。私は心の中で「そんな連絡いらん」と思いながら一応聞いています。
何かに没頭するのはいいのですが、父さん、ドジをしたり階段から落ちたりと行動がおかしくなります。
本人曰く
ドーパミンがめちゃくちゃ出てる感覚がしている
そうで
テンションあがって落ち着かない!(´∀`)
のだそうです。
部屋にこもって静かなのはいいのですが、気をつけてほしいです。
切り傷だけで骨折などしていなくてよかったと思いましたが我が家の女子はみんな父さんのドジに笑いが止まりませんでした。
それにしてもあの集中力を見たのは本当に久しぶりです。
昔、父さんがシステムエンジニアだった頃のようだなぁと思いました。
もういまはやめちゃったけれど。
ちょっと話は変わるのですが受験シーズンだからかもしれませんが
大学について書かれているブログを最近いくつか読んでとても興味深く思いました。
なんのために大学に入るのか、大学で何をやるのか、本当に千差万別ですよね。
コツメの母さんは短大ですが、文学部だったのではっきり将来の夢を持って勉強していたわけではありませんでした。ただ国語が他の教科よりは好き、という理由でした。
周りの友達もそんな感じでした。(英語が苦手だから国文という子もたくさんいました)
あと、本当に下世話なのですがどうしても実家から出て東京に行きたかったの…。
私の学年はバブル最後の年に就職活動だったのでみんな銀行や保険会社などなどさくさくと内定がでて、会社を制服のデザインで選んでいた子もいました。そのくらい余裕がありました。
みんな入学した頃に「銀行員になりたい」とか「保険の仕事につきたい」とか思って勉強していたわけではないと思います。
そんな目的もなく入学した私が感じた大学のいいところは
「くだらないことだろうがなんだろうが自分が興味をもったことに時間をたっぷりかけて勉強できるところ」
だと思いました。
今の大学生は私の頃よりもっと忙しいはずなのでなんとも言えませんが、社会に出る前に好きなことを詰め込んでできる最後の時間だったように思います。
(文系だったから特にそう思ったのかもしれません。)
ピヨ姐もいろいろあったので縁のあった今の大学で「将来なにをやろうか」と悩みながら過ごしています。
さて、コツメの父さんの話に戻ります。
父さんは高校を卒業して大学は工学部に入学しました。工学部からそのまま大学院に行き、メーカーに就職しました。その当時はまだプログラムをかける人が会社に少なかったので入社してすぐに戦力となっていました。大学で学んだプログラミングが即社会で使えたわけです。
激務の日々が続いたのですが、父さんはある時
「おれ、エンジニアっていうよりは商品開発してできたものがコストがいくらかかっていくらで売れたか、何台売れたかを全部把握したい人間だってことに気が付いた。エンジニアは与えられたパートをやるのみになっちゃうんだけど、俺はそれがどうなったのか最後まで知りたい。それはできるのは部長とかでしょ。そんな年になるまで待ってられない。しかも上にはバブル入社の先輩がめちゃくちゃいるから部長になれるかもわからんし。」
と生意気を言い始めます。
それはもう、エンジニアではないですよね…。
父さん、30代前半で経済の勉強をするためにアメリカの大学院に入り、MBA(経営学修士)の学位をもらいました。アメリカの大学院に入る前に父さんは初めて「予備校」に通ったのです。会社の帰りに予備校に通ってお勉強…。
それもまたうれしそうで目がギラギラしていました。
アメリカでのMBAの勉強はものすごく大変だったのですが、勉強を始めると
「俺、高校生の時経済学部に一切興味がなかったけど、やってみたらマクロ経済とかミクロ経済とかすごい面白い。」
とよく言いました。
母さん、父さんとは中学生の頃から知り合いだったのですが、父さんが工学部に入った時、とっても違和感がありました。
なんか、工学部って感じじゃないよね…と思ったのです。
どちらかといえば法学部とかじゃないだろうか、とも思ったのですがそれも違和感。
エンジニアになった時も
「父さんってものをつくるって感じじゃないよね。」と思っていたのです。
でもとうさんの経済の勉強が面白かったという言葉を聞いたときに
「あぁ、そうだ。父さんは経済だわ。」
と初めてしっくりきたのです。
何を言いたいかというと、高校生の間も、大学生の間も、自分が何をやりたいか、何をやると一番楽しいかって気づかない人もいるよ、ということです。
工学部もエンジニアも楽しそうだったけれど、「ピタリ!」としっくりくることに出会ったのは30歳を過ぎてからでした。
なので、高校や大学で決めたことだけが人生じゃなく、何回もやり直したり変更できるんだなぁと思ったのでした。
私や親の世代だと一度入社したら定年まで勤め上げることがスタンダードだったけれど、今は転職してもしっかり働ける人ならばイメージが悪いってことはない世の中になってきています。
だから大丈夫だと思います。
ちなみに父さんの工学部の研究室でいっしょに勉強していた同級生は数年前40代半ばで弁護士になっていました。
働いているうちに僕は弁護士になりたいって思ったのかもしれません。
極端な例をあげてしまいましたが、高校の進路を決定しなくてはいけない時に「これだ!」と思うものが見つかっていなくてもいける環境ならば大学に行ってから考えても大丈夫だと思うよ…、もっというなら社会人になってから出会うこともあるよ…と思う
コツメの母さん。でした!