コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・社会人)、次女(コツメちゃん・高校1年生)の4人家族です。

お墓まいりに行った帰りにおばあちゃんの家があったところに行ってみた。

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

こんばんは。

 

コツメの母さん。です。

 

私の祖母は13年前に93歳で亡くなりました。肺腺がんでした。

祖母は最後まで頭はしっかりしていて、受け答えもちゃんとしていました。

 

昔、祖母は祖父と一緒に富士市で鉄工所を営んでいました。

子どもの頃は盆暮れ正月に家族で泊まりに行きました。あの頃はゲームとかなかったので、何もない祖父母の家に泊まりに行くのも非日常的で楽しみでした。

 

工場の入り口をはいると機械がたくさん置いてありました。

コンクリートの床の上には金属の破片がところどころ落ちていて、油の匂いがしていました。

奥に机があって、おじいちゃんが椅子に座っていました。納期を書き込んだカレンダーが貼ってあり、帳面みたいなものが置かれていました。

机の上にはアルマイトのお盆に薄いお茶のはいった湯のみと急須、灰皿が置いてありました。

 

昼間は灰色の作業着をきたおじいちゃんとエプロンをつけたおばあちゃんがなにやらレバーのついた機械に金属を押しつけてきゅいーーんとやっていました。

一度

 

「何を作っているの?」

 

と聞いたら

 

「船の部品だよ。」

 

と言ってたなぁ。

 

工場と自宅が繋がっていて、机の向こうの引き戸のところで靴をぬいであがると横に階段があり、家になっていました。

お風呂は木のお風呂で、横にえんとつみたいなのがあり、そこを触ると火傷するから気をつけなさいと言われていつもドキドキしながら入りました。

 

トイレもぼっとんトイレで少しこわかったです。

 

 

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 私が高校生の時に祖父が突然倒れて亡くなると、しばらくして祖母は工場をたたみました。

そして祖母は長年住んだ富士を離れて父と母の家で暮らすことになるのですが、その時私はもう上京して実家にはいませんでした。

 

祖母がお金を貯めて築いた工場と家は、近隣にあった別の会社が買い上げてくれたそうです。

子どもの頃、何度も行った祖父母の家は他の人のものになってしまったのです。

 

そして先月富士のお墓まいりに行った時、私は祖父母の家があったところを訪ねてみたくなりました。

お墓と祖父母の家は車で5分くらいのところだったので、記憶を辿っていってみたのです。

30年ぶりでした。

 

工場のたくさんある場所なので、こんなおばさんが入り込んだら絶対あやしまれること請け合いですが、父さんには車の中でまっていてもらい、私は歩きました。

場所はしっかり覚えていました。

いまも変わらず舗装されていないあぜ道。

歩いて行くと右側に祖父母の工場がありました。もうこの時点で超、エモい!

むかし工場のよこに犬小屋があって祖母がクロっていう犬を飼っていたのを思い出しました。

 

父と母の仕事が忙しく、やむをえず4歳くらいだった私を数日間祖父母に預けたことがありました。祖父母も工場で忙しいので遊んでもらえるわけもなく、私は工場の横のじゃりみちで一人うろうろ遊んでいました。

砂利道にうずくまって石ころで遊んでいると、工場からあまりもののご飯に味噌汁をかけた犬ごはんを祖母が鍋にいれて持ってきてクロにやるのです。

それを祖母といっしょに見ていたのを思い出しました。

 

工場はあったのですが、自宅は見えませんでした。

フェンスができてしまい、入れなくなっていたのです。

残念でしたが、とてもとても懐かしかったです。

 

預けられた時にあった出来事なのですが、私はいつものように外で一人で遊んでいると同じ歳くらいの女の子に出会いました。

工場の近くに住んでいる子でした。その子の家(平屋の借家)にあがらせてもらうと、おうちの人が缶詰のパインをだしてくれたことも思い出しました。

うすぐらい中で小さな白くて平たいお皿に薄いパインが一枚、甘いおつゆの中でゆらゆらしていたのです。

女の子の顔も、お母さんの顔も思い出せませんが、丸いパインの画像はしっかり頭に浮かびました。

 

その平屋もありました。

廃墟になっていたけれど、もうそこだけ昭和のままでした。

ガラスが割れて、つるがつたっていて、ちょっと泣きそうになりましたよ。

 

おじいちゃんもおばあちゃんも父もみんなこの世にはいないですが、確かにいたんだよなぁと思いました。

 

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おばあちゃんちの裏に流れている川。

子どもの頃一人でながめていました。

 

コツメの母さん。でした。