こんばんは。
コツメの母さん。です。
コツメが先日地上波で放送された「聲の形」を録画していたので週末いっしょに観ました。初めて観たのですが冒頭からぐいぐいと引き込まれ、それが終わりまで続くストーリーでした。
が!
後でコツメが「かなりカットされてるみたい。」と言い…。
Netflixでカットがないものを今日観てしまいました。
本当にかなりカットされていましたよ。
「え?こんな大事な場面もカットされたの?」
「あ、そういうことか。あのキャラクターがあれからどうなったか気になってんだよ〜。」
「急にキャラクターでたと思ったらもう少しまえに登場してたのね。」
とコツメと話しながら全部観ました。
カットするところが大変なくらい、映画に無駄なところがないのだろうね…という結論になりました。
ストーリーの中に出て来た小学六年生のクラス…。
いじめる子、いじめられる子、かかわらないその他大勢、クラスの雰囲気が悪いことを知っていながら面倒なことは何もしない担任。
ピヨ姐の小六のクラスを思い出して胸が痛くなりました。
ピヨ姐は中高一貫校にいったので、小六の時のクラスメイトとは疎遠です。
この映画の登場人物たちは、高校生になり、いろいろなことがあって小六のクラスメートと再会します。
そして小六の苦い出来事の続きが動き出していきます。
ピヨ姐も私も、小六の出来事はずっと辛い思い出として残っていますが、これから大人になっていくうちに少しずつ昇華できるのかな。
あの頃の担任や友達は少しでも「ピヨ姐に気の毒なことをした」と思っているだろうか。
それはもう出会ってみないと、話をしてみないとわかりません。
でも今のピヨ姐はやっと自分の今が楽しいといえるようになりました。だから無理に過去と会ったり話したりする必要はないのかもね。
意識していなくても何かの縁で再開することだってあるかもしれないし。
どんなきっかけかはわかりませんが、何かのきっかけで自分自身動き出すことができるようになれば少しずつ気持ちが晴れていくのかな、と思いながら観ていました。
「聲の形」
よかったです!!!
コツメの母さん。でした。
追記
この映画、いじめられている子、その古傷が残っている子には辛いものがあるかもと思い#聲の形でツイッターをみてみました。
やはり「この映画は辛いからみられない。」とか「思い出す」といういじめられた経験のある人の書き込みが多数ありました。
だけど
いじめられる子の数だけいじめた子がいるはずなのに、いじめた側の書き込みがほぼない。
これが現実。
いじめによる自殺のニュースが報道されるけど、その時も同じ。
いじめた人は忘れているか、記憶に蓋をしているか、だまっているか、いじめたと思っていないでいるとか、いろいろだろうけど。
私も被害者だったり、加害者になった記憶があります。
いじめられた人は古傷を抱えていることが少なくないと思います。
過去は変えられないから古傷も完治しないかもしれません。でも古傷を抱えている人は時々痛みがぶり返すことがあっても、今自分の好きなものをたくさん周りに集めて、置いて、愛でるような人生を作っていってほしいと思います。そしたら痛みの回数が減るかもしれません。
生意気でトンチンカンな発言になってしまいますが…。