こんばんは。
コツメの母さん。です。
家にゴーヤが一本ありました。
私の家ではゴーヤはマイナーな野菜です。
でももったいないのでたまごと缶詰のポークで炒めました。
(先にゴーヤは薄く切って湯がいておきました)
ゴーヤって苦手だったのですが、ポークといっしょに食べると美味しかったです。
子供達はそんなに食べませんでしたが、父さんにも好評でした。
さて、昨日の私は血が苦手で具合が悪くなってしまうお話を書きました。
それで思い出した
その後25年の時を経て私の劣等感が少し軽くなったお話
を今日は書きたいと思います。
まずは昨日書いた高校生の頃のお話を抜粋します↓
コツメの母さん、
病気の話がすごいすごい苦手なんです。
書くのもダメなんですが、血がだめなんです。
ホラー映画とかは大丈夫なのですが、本当のがダメ。ほんとにダメ。言葉でもダメなんです。
それを知ったのは高校生の時なのですが、生物の時間に血液型についての勉強をしたとき、薬品を使って自分の血液型を調べてみることになったんです。
先生が「マチ針で自分の小指をさして血液を薬品に混ぜてください」と説明を始めた時から気分が悪くなり、我慢して座っていたら、まち針が配られ、薬品が配られ、周りの女子たちが
「きゃーーーー。こわぁあぁぁい。(笑顔)」
と言いました。隣の席の子をちょっとみたらみんなが自分の指に針を刺している景色が目に飛び込んできました。怖いと言いながら楽しそう。どういうこと?いろんなことが怖くなり、教室の外にでてめまいをおこしてしまいました。
それがトラウマになってしまい、採血も毎回横にならせてもらっています。
私の卒業した高校は女子校でした。
地元の公立の女子校で、真面目て勉強も部活も熱意がある子ばかりが集まる中、私は成績も全然ふるわず、もうどうしていいのかわからないからただただふざけてやり過ごし、一人になると
「このままじゃいけない。どうしよう。」
と不安でいっぱい。
だからといって勉強も手につかない。焦るだけ焦り、
勝手に周囲の子達と比べて劣等感に苛まれていたのです。
生物の時間に倒れた時も、落ち込みました。
みんな勉強してないっていうけど勉強してる。
怖いってきゃぁきゃぁ言ってもちゃんとまち針を刺して実験できてる。
本当に勉強もしてない、待ち針もさせないのは私だけだ。
「学校が合わない」って主人公が苦悩する小説とかドラマででてくるけど、本当に学校が合わないってあったんだ…。
こんなに前向きでやる気のある子たちの中で私はまったくできないでいる。
本当に自分が情けなかったんです。
結局私は劣等生で卒業しました。
おかげで30代まで夢にときどき高校時代に戻っている自分がでてきました。
目を覚ますと心臓がどきどきしていて、
「あぁ…。そうだ。受験も就職も、結婚もしていた。あぁ。よかった。もう受験の心配しなくてよかったんだ…。」
と思ったものです。
そのくらい高校は黒歴史というか黒歴史にもならない、不明な時期だったのです。
40代になったころ。Facebookが流行り始めて私もやってみることにしたのです。
その時、「知り合いでは?」という中に、知っている名前がありました。高校二年生の時に同じクラスだった子。
仲の良い友達グループは別でした。でも名前を見た時にすぐ顔も思い出せました。
「真面目そうな、でもしゃべったらおもしろそうだったな。話したことはないけど。」
と思った私は勇気を出して友達申請して見たのです。
無事につながり、彼女のつぶやきをみることができました。
そこからすこしずつ小さい交流ができたのです。
思い出から避けていた高校時代だったけど、すこしだけ懐かしく感じられるようになってきたのかも、と思いました。
私はある日そのFacebookに生物の時間におきた出来事を書いたのです。
すると彼女からコメントがきたのです。
「その授業、覚えてる。私もできなかったよ。」
え?
そうだったんだ…。
いたんだ…。
私みたいな子。
なんだかすごーーーーくすごーーーーくホッとしたのです。
同じ時に同じ生物室の私は北側、彼女は南側の席で同じようにまち針がさせずにいたんだね…。
あの時話して見たかったなぁ。
25年ぶりに少しだけあの情けない気持ちが浄化された
コツメの母さん。でした!
追記。ちなみに彼女はまち針はさせなかったけど、優秀です(^ω^)