こんばんは。
コツメの母さん。です。
今日は人生を変えた出来事を書きたいと思います。
といってもコツメの父さん(私の夫)の話です。
コツメの父さんは県下で伝統校と言われる公立高校に通っていました。
部活は運動部です。
進学校ということもあったためか比較的ゆるい部活だったようです。決められた曜日の時間に練習をして帰る。そんな感じでした。
そんな感じだったので、練習をしようがしまいが、うまかろうが下手かろうが最後の対外試合には最終学年の部員は全員スタメンで試合にでられるというのがお約束になっていたのでした。思い出づくりに試合出場♪だったのだと思います。
ところがです。
二年生になったときに顧問の先生の考えが突然変わったのです。
「これからは実力でいく!」
そうです。先生は勝ちにいくスタンスになったのです。すぐに理由は判明しました。
新入生がガチで上手だったからです。
そのため先生は「万年ビリだったけど、今年はいける!」と思ったに違いありません。
先生の革命の影響をもろに浴びたのがコツメの父さんの学年でした。
学年の中で顧問の先生の革命についていこうとする数名とたのしく運動したかったのにこれじゃぁ…とついていけないものが数名、意見の違いでぎくしゃくしはじめました。
コツメの父さんはどちら側だったかというと、「どちらでもない」という一番イラっとする立ち位置だったそうです。
変革についていけないグループは結局やめていき、どちらでもないグループの父さんたちは部活の時間になるとへらへらとグラウンドに集まり、体を動かしていたそうです。
結局、例年だったら出られたはずの対外試合にコツメの父さん含む最終学年は一部の上手な選手がでられたのみで全員出場することは叶いませんでした。
そしてコツメの父さんは最後まで部活をのらりくらりと勤め上げ、卒業したのだそうです。
そんなへらへらとした出来事ではあったのですが、これが父さんの人生の考え方に影響を与えた大きな出来事のひとつになったそうです。
17歳の少年、コツメの父さんくんはこの部活の出来事を通し、
「じぶんの置かれている環境がいつまでも変化せずにあると思ってはいけない。安泰だと思っていてはいけない。常日頃からそう思い、環境が突然変わった時にも生き残れるように普段から実力をつけておかなければいけないんだ。」
と気がついたんだそうです。
心はおじいちゃんの17歳。
でもそれは本当にそうだと思うし、いまやコツメ家の家訓になっています。
そう気がついた高校生の時から大学の二年生までは世の中も好景気で安泰でした。日本の会社は潰れないとみんながぼんやりとした自信をもっていました。でもコツメの父さんが大学三年生の時にバブルが崩壊した影響が就職にでてきました。
氷河期突入です。
環境は一変しました。
日本の誰もが知っている会社が倒産しました。リーマンショックも、震災もありました。そしてコロナ。
いままであった当たり前の環境がまったく変わってしまうことが何回も起きています。
その度、父さんの部活を思い出す
コツメの母さん。でした。