こんばんは。
コツメの母さん。です。
突然ですが、id:cornoteさん!
昨日のブログに書いたガレット・デ・ロワですが、どこで売られていたかと言いますと…。
12月も末、かけこみふるさと納税になってしまったコツメの母さん。
ふるさとチョイスというサイトで何か美味しいものはないかしらと探していたところ、東京都八王子市の寄付で「パティスリーメゾンドゥース(トゥースではないですよ。春日じゃないですよ。)」さんのガレット・デ・ロワがあったのです。
年末から1月までの限定発売だったようです。今ふるさとチョイスのHPを調べたらページが消えていました。そして寄付がいくらかも忘れてしまいました…。
ちなみに私がこのケーキを知るきっかけとなった毎年ガレット・デ・ロワをインスタにあげている意識高い系ママさんは「手作り」です(汗)。
さてさて、我が家のピヨ姐が今月で20歳になりました…。
誕生日のケーキはいちごのショートケーキがいいと言われ、みんなで食べたのですが写真を撮るのを忘れてしまったので成人式のお祝いケーキ画像を貼りますね…😁
今日は20歳記念でピヨ姐について書きたいと思います。
ピヨ姐はそれはそれは大変手のかかる女の子でした。
何が手がかかるってとにかく怒りんぼだったのです。それも地雷が特殊。
一番怒るのは「順番」でした。
絵本のページを読み飛ばしたり絵本の題名を読んでも作者の名前を読まなかったら怒り出す。
寝る前のお白湯とホットミルクはそれぞれコップと飲む順番が決まっていました。
そのくせ言葉で気持ちを説明するのが苦手(これは高校まで続く…)なため、どうして怒って泣いているのかがいまいち分からないという子供でした。
言葉を話すのは苦手なのに、文字を覚えるのはとても早く、2歳前にはアルファベット、3歳のころには「は」「っ」も教えていなくても知らないうちにちゃんと読めていました。
テレビを見ていても本を見ていても絵より文字や数字を見る子供でした。そのせいか?絵を描くのがいまだに苦手です。
年中の頃には九九も言えて、マイナスとプラスの概念も少し説明すれば覚えて3桁の計算をし、絶対音感を持ち年長さんの頃には小児科のからくり時計の音楽がなると「ママ、病院のショパンのノクターンはハ長調なんだね。家のショパンは変ホ長調なのに。」…という子供でした。
これは天才かも?なんて思いますか…???
いえいえ、ピヨ姐はつらいつらい日々を過ごすことになります。私はピヨ姐が小さい頃からいつかピヨ姐自身が辛くなるって心配していました。
とにかくよく分からないこだわり。
友達や友達のお母さんに不快感を与えることもやんわりお叱りを受けることも多々ありました。
私ともよくぶつかりました。
私はピヨ姐を育てていて
「あぁ、私の気持ちをピヨ姐はわかってくれた。」
と思ったことはいっぺんもありませんでした。
小学校に入るとピヨ姐黄金時代(低学年)に入ります。
勉強も運動もダンスも出来たので出来ない子の気持ちがわかりません。しかも天然なので「私の方ができる」「私の方が洋服やおもちゃを持ってるよ。」とか人と比べるということをしなかったし、そういう概念を持ち合わせていなかったピヨ姐は、
自分ができることは誰でもできると思っていたようです。
ダンスの練習の時や、発表会の練習でピヨ姐は周りの友達に「なんでできないの!?」ときつくあたっていたようでした。
自信満々で明るい子供でした。(怒りんぼだけど。)
そしてピヨ姐は人間は自分と他者を比べてやっかみ、それが原因で人は意地悪をしたり、足をひっぱるということを知りませんでした。
なので友達にそういう態度をとられるとなにがなんだか分からなくてわんわん泣いていたのです。
例えば夏休みのあと、学校で旅行の話になるとします。
お友達が
「熱海にいったよ。」
というとします。
ピヨ姐は
「わー。いいな!私もアメリカに行ってきたんだ。」
と言います。
ピヨ姐にとっては
熱海もアメリカも同じなんです。
でも友達は
アメリカ>熱海
という価値観だったらどうなりますか?
大人同士だって中にはいやみをいう人もいますよね…。気を使いますよね。
何回も叱ったし、ときには何回も説明したけれど、理解できないピヨ姐はとうとう高学年で詰みます…。
周囲の友達も大人になり、自我が芽生え、ピヨ姐のいうことをきかなくなったのです。むしろピヨ姐をやっかいだと思う人もたくさんでてきました。
六年生の最後にはとうとうクラスのヒエラルキートップに君臨したい女子にこてんぱんにやられたのでした。
天然物の自尊心は崩れ去ります。
そこからピヨ姐は暗くなります。
頭痛、不眠の兆候が出て来ました。中学受験もやっていたのでおそらくどんどん心体が疲れて行ったのだと思います。
中学に入ってからは「どうしちゃったの?」というくらい無気力になりました。
私と毎日大げんかです。
どんどんどんどん悪くなり、その間のことはいろいろありすぎて省きますがとうとう高2でベッドから動けなくなりました。
さなぎみたいな状態で1日16時間睡眠の日々です。学校も行けません。
初めて娘は
「病院へ行きたい。」
と言いました。
カウンセラーさんにあうと堰を切ったように自分の生い立ちを話し始めたピヨ姐に私はびっくりしつつも自分の番になった時、私も今までずっと思っていたことを話しました。
「この子を育てて来ていっぺんも気持ちが通じたと思ったことはありません。」
するとカウンセラーさんはピヨ姐にWAIS3という知能検査をしましょうかと勧めました。
これでもしかしたら違和感の理由が少しだけでもわかるかもしれない。と思い、受けさせることにしたのです。
ピヨ姐も「受けたい」と言いました。
結果は全IQ148。
数値だけで言えば天才です。異常値です。
もしかして、今まで話が通じてなかったのは凡人の私とピヨ姐との能力差…?と思ってしまったのは冗談ですが…。
ちなみに父さんは子供の頃IQテストの数値が高いと先生から言われていたのでおそらく遺伝だと思います。
(ちなみにピヨ姐の結果を聞いた父さんは「俺も受けてみようかな」と言いだしたのですが、WAIS3は医療機関で受けるためそれはやめにしました。そしてテスト内容は全く異なりますがJAPANMENSAのテストを受けて合格しています。)
ピヨ姐は「普通に生まれたかった」と少し落ち込み、カウンセラーさんから結果をうけとった医者から
「人の三倍脳が動く子です。だから疲れます。ピヨ姐さん、あなたは人の三分の一の労力でものを覚えたり理解することができるから。大学受験もゆっくりやってもおいつくから。今は休んで大丈夫だよ。」
と言われていました。でもお医者さんは私と二人きりになった時にそっと
「難易度の高い大学の受験はあきらめてください。」
と言いました。すごく悲しかったです。(今は納得。)
当時ピヨ姐にはこのことを伝えませんでしたが、大学に入った後で伝えると冷静に
「全然ショックじゃないよ。私もそうだろうと思ってたよ。」
ときょとんとした顔をしていました。
浪人を経て女子大にやっとこさ合格。
この浪人時代も勉強をしたかと言われたら「うーん。」です。
病気なのか、だらしがないのかわかりません。多分どちらもあると思っています。
ピヨ姐、勉強があまり好きじゃないですし、興味がないとすべてが苦痛という性質なのです。
ですから、50歳になって急に勉強をするかもしれませんし、それはわからないです。
そして…。
女子大生になった今ですが…。
とてもとても楽しそうです。
時々お笑いコンビ宮下草薙の漫才のような状態に陥り、訳のわからないことで不安を訴えたり泣き出すこともありますが格段によくなりました。
普通の女子大生になれた気がします。
人から
「かわいい」
とか言われるようになりました。自己肯定感が低いのでとまどっているようですが、競争のなくなった今、ゆったり女子大でまったりした今、こころが健康になってきたようです。
多分今が一番幸せだろうと思っています。
勉強もしていますが、アホみたいに遊んでいます。
成績も今の大学だとよいほうだと思います。(落ちこぼれ街道を歩いてきたため本人が褒められてすごくとまどっている。)
中高一貫校の友達は弁護士試験の準備に追われていたり、医者を目指していたり、ゆくゆく起業したいという子もいて、ピヨ姐も「みんながんばってるなぁ」と思っているようですが、今の場所でこつこつやっているピヨ姐を見ていて私はものすごく安堵、満足しています。本人も。
今はサークルがとても楽しく、試験期間が終わったらライブにむけてベースの練習をしたいようです。
いろいろなことがあった20年。
ピヨ姐の20代もいろいろなことがあると思いますが、充実した日々を過ごして欲しいです。
そして20年ピヨ姐を育ててきてわかったことがあります。
人と比べて
頭がいいとか、
美しいとか、
お金があるとか、
スポーツができるとか、
いい大学出身とか、
超有名企業に内定もらったとか、
そういうことで優越感や幸福感を感じる人もたくさんいると思います。
でもピヨ姐のように他者と比べて価値を見出すことができない人間もいて、そういう人間の幸福感て、他人じゃ理解できないことなのかもしれません。
ピヨ姐が心から幸せだと思うことが一番大切なのだと思ったのです。
長くなりました。
コツメの母さん。でした!