こんばんは。
コツメの母さん。です。
近所に住まうお母さん友達とお茶会しました。
私の住んでいるところは、昭和40年代後半くらいにできた街なんだろうな、と思われる戸建ての多いところです。
以前はなかなか新築の戸建てが売りに出されることはありませんでしたが、10年くらいまえからでしょうか。
ちょこちょこでてくるようになったのです。
おそらく地主さんや元農家の方も多いので、代替わりの際に相続税がかかるからでしょう。
だんだんと土地が切り売りされるようになってきました。
そんなわけでその頃越して来た同世代のご近所さんが増えつつあります。
住む、といえば町内会。町内会といえば組長でしょう。回覧板を回したり、町内会費を徴収したり、町内のイベントのお手伝いをするあれです。
ここ10年以内に引っ越して来た新参者ママの中で最初に組長になったのが私でした。多分5年くらい前になるでしょうか。
近所の60代くらいの女性がある日突然やって来て、
「来年の組長をやってもらえないですか。」
と頼まれたのです。
私はここへ越して来て会費も支払い、毎月回覧板もいただいていたけど、だれがどうやって回しているかをしらないまま何年も暮らしていました。
最初はあたふたしましたが、お仕事の内容ややり方も理解して慣れた頃には一年が終わり、隣のママに引き継いだのでした。
一年やってお隣の新参者ママA
一年やってお隣のお隣の新参者ママB
と問題なくリレーされて行っています。
今回久しぶりの茶会でしたが、はずせない話題は回覧板問題です。
これから組長になる人も仕事を知る上ではずせないため、回覧板はホットな話題の一つなのです。
何年経っても組長のとまどいポイントは変わりません。それは
回した回覧板がどこかの家で止まってしまい、いつまで経っても返ってこない問題
です。
そして経験者たちは言います。
止まってるの、多分あそこかあそこのお家だと思うよ。
そうなんです。
これは経験者共通の見解なのです。
でも仕方がないんです。一人暮らしのご老人だったり、老老介護をしているのでは?というお宅だからです。
なのでつい忘れてしまってるのだと思います。
以前も一人暮らしのご老人が回覧板をおいたまま入院されてしまったことがありました。
いないと知らず、回覧板がポストに入りっぱなしで雨に濡れてしまったこともあります。
とにかくいろいろなことがおこります。
コツメの母さんが住んでいるところは回覧板を回すのは全部で30軒。
組長は10軒1グループ、計3グループにわけ、3冊の回覧板を回しています。
私がやっていたころは、翌月までに回覧板が戻ってこず困ったのは1回だけでした。
その時は自分の家にあるバインダーで代用し、
「先月の回覧板をお持ちの方は至急お戻しください。」
と大きく紙に書いて広報誌と回すといつのまにか戻ってきたのでした。
でもお茶会で今年の組長ママはいいました。
「今回は3冊中2冊戻って来てないの…。」
一番早いのはやはり私たち世代が多くいるグループらしいのです。
そうか…。2冊か…。
私が組長を引き受けてから5年。
お年寄りの5年って私たち40代よりもずうーっと大きいですよね。
この5年でなかなか回覧板を回せなくなって来たお家が増えたのかもしれません。
「結局、回覧板が遅れてきたら、回って来てもお知らせの行事の日付が過ぎちゃってて意味ないよね。」
「それにきても読まないよね。」
「お年寄りの方もこんなの読まないから必要ないとは言うんだけど…。でもやめるとなると躊躇するみたい。」
という話になりました。
このご時世、インターネットでみられればそれでいいのに、とも思うのですが、お年寄りはネットができない方が多いですし、月一回の回覧板でも一人暮らしの方の安否確認にもなるというメリットもあるんですよね。
今朝NHKのニュースでも今回の関東を襲った台風で電気が通ってない街の民生委員の方がお年寄りの家を一軒ずつ訪問する様子が映し出されていました。
若い人はネットをつかえばどこそこの店があいているとか分かるけれど、お年寄りはそれができないから直接家をまわり、なにか困っていることはないか聞いていますと民生委員の男性がインタビューに答えていました。
そういうこともあるからなぁ…と思いながらテレビを見ていました。
近所のどの家にどんな人が住んでいるというのはネットではわからない情報ですし、地震や台風の時はやっぱり人と人の連携が大事です。
人付き合いっていいことばかりじゃないけれど、べったりせず、適度な間柄をとりながら付き合うことは大切なのではないかと思うようになってきました。
いつもはいらないけど、でももしもの時は超必要。大事なことってあるんですよね。
話は変わりますが、最近BSで再放送中の「おしん」にハマっています。
子供の頃、夏休みの間だけ見たことはあるし、おおすじは覚えているのです。
でも、大人になって見てみるともう余計にずすぃーーーんとなります。
昨日今日と見ながら泣いています。
もう、ずぅぅぅうぅっともんげーーー苦労がおそいかかってくるんです。
NHK公式ページより
おしんを見ていたら回覧板問題なんてミクロです。私の人間関係なんて幸せなんてもんじゃないです。
ところで今放送中のおしんは小林綾子さんではなく、田中裕子さんの20代のおしんです。驚いたのは当時 小6の私には田中裕子さんが美人だとは思えなかったのですが
田中裕子さんはめちゃめちゃキレイでセクシーだった
ということ。です。
お肌もきれい。首筋もきれいです。ちょっと着物の襟元が開いちゃっているのは、きれいだから視聴者に見せているのかなぁと思うくらいです。
そんな母さん、今日は録画しておいたNHK の番組「アナザーストーリーズ運命の分岐点 朝ドラ”おしん”誕生〜人生をかけた女たち〜」(8月13日放送)も見ました。
その中で脚本家の橋田壽賀子先生のインタビューがあったのですがとても印象に残った言葉がありました。
それは主人公のおしんが明治34年生まれという設定の理由です。
実は明治34年は昭和天皇が生まれた年なのです。
つまりおしんは昭和天皇と同じ年なのです。
橋田壽賀子先生は「天皇陛下にご覧になっていただきたかった。日本の女性が当時こんなにも苦労したことを知っていただきたかった。」といっていました。
す、壽賀子…すごい!
橋田壽賀子先生といえば大河ドラマ、1981年に放送された「おんな太閤記」です。
私が初めて見た大河、そして壽賀子先生のドラマでした。
小学校3年生から4年生の時でしたが、毎週楽しみにみていました。
大河を見た後、父にこの武将はどうなるのか、と心配になっていつも聞いていました。歴史に興味を持ったきっかけのドラマです。
主人公の西田敏行演じる豊臣秀吉がどんどん出世していくのが、子どもがみてもわかりやすくてとても面白かったです。
その後も大河「春日局」、朝ドラの「おんなは度胸」も面白かったです。
橋田先生、94歳。インタビューにもしっかり答えていて、びっくりした
コツメの母さん。でした。