コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・社会人)、次女(コツメちゃん・高校1年生)の4人家族です。

今朝は雨だからプールカード出さないで済んだわ〜。

おはようございます。

 

コツメの母さん。です。

 

夏ですね。

先月からコツメの小学校でもプール授業が始まりました。

40年前の私の時代とは違い、学校でプールのある日は「プールカード」を持っていかなくてはなりません。

 

プールカードに日付、朝の体温、睡眠は何時間とったか、プールに入るか入らないかのマルバツを記入し、ハンコを押して子どもにもたせるのです。

一箇所でも未記入があった場合はプールに入ることができないきまりです。

 

今日はプールの授業がある日だったのですが、昨日の時点でコツメちゃん、

 

「プールカード、学校に置いてきちゃった。てへ。」

 

と言いました。

うちのコツメはプリントを始め、給食ナフキン、時には教科書までも学校に置いて行く常習犯です。

これがピヨ姐ちゃんの時だったら「どうするのよ!」と言って叱っていた私ですが、だいぶ年齢を重ねたことと、コツメちゃんのだらしなさっぷりに慣れすぎて叱るという感情も大幅になくなっています。

 

コツメも慣れたもので

 

「カードに書かなくても、同じ内容を連絡帳ノートに書いて提出すれば一回くらいなら先生もオーケーしてくれるよ。」

 

と冷静です。

よし、それでいこう!

と思って朝を迎えたら、今日は朝から強風&しっかりめの雨。

コツメもアレクサに天気を聞いて

 

「これならプールカードもいらないし、プールの道具も持っていかなくていいね!」

 

と言い、私も

 

「そうだね。でも今日はプールカード持って帰ってきてよね。」

 

と念押ししておきました。

 

それにしても時代です。私の頃はプールカードの記入なんてなかったですもんね。

プールだけでなく、林間学校や修学旅行の時もコツメの小学校は出発日の1週間前から毎日健康調査カードの記入をすることになっています。

体温、睡眠時間、朝食の有無、などなどを記入して毎朝学校に提出するのです。

林間学校、修学旅行が終わった翌日も健康調査カードを記入するんですよ。

学校の先生も大変です。

 

プールといえば、子どもの頃の私は学校のプールが嫌いでした。

ぼーっとして居る私は、短時間で着替えささっと行動することがとても苦手だったからです。

プールのある日は緊張していました。

特に嫌いだったのが、プールに入る前、並んで順番に入る

 

腰洗い槽(´Д` )とシャワー。

 

腰洗い槽は今は廃止されてないみたいですよね。

私、あれがとんでもなく苦手でした。

 

まず、裸足になってコンクリの濡れた地面を歩くのが気持ち悪かったのです。

みんなのぺたぺたした床を歩くのが苦手な母さんでした。

潔癖ではないのですが、いまだに銭湯やホテルの大浴場の脱衣所の床が苦手です。入るけど苦手なんですよね…。

 

そして腰洗い槽💧

あの、3段くらいの階段をゆっくり降り、塩素のたくさん入った水に腰をかがめて数をかぞえながら浸かる、というあれです。

その理由がお尻などの「消毒」のため。

あの狭い水槽に何百人の人が腰をかがめて入って居るんだから、想像すると余計に汚く感じてしまい、コツメの母さんにとっては地獄だったのです。

プールだって汚いけど、広いじゃないですか。だけどあの腰洗い槽は狭くて凝縮されていますからね…!!

 

シャワーを浴びるときはこっそりと腰洗い槽で濡れた部分を重点的に落としていた私です。

プール後の目洗いも刺激的すぎて苦手でした。

こちらの目洗いも今はないみたいですね。

 

なんだよ〜って思います。

 

しかも大人になり、都会に越してきた私が気がついたのは同じくらいかもう少し年上のお母さんで泳げない人がけっこういたことです。

静岡出身、しかも隣がバリバリ管理教育の愛知県が近い静岡県西部地方で育った母さんにとって、今すんでいるベッドタウンで育ってきたお母さんと思い出が違って居ることがあります。

私の今住んで居るベッドタウンは大昔からゆとり教育みたいだったんだなと思うのです。そのため中学受験が盛んという…。大げさにいえば勉強したい子は私立、みたいな流れが若干あります。

 

以前も書いたのですが、「プールに入りたくない。」という理由であっさり休ませるお家もたくさんあります。(お家によって言いたくない、深い理由があるかもしれないです。)

先生もプールカードが絶対なので入りませんに印がついていればもう入らなくていいのです。

 

コツメの母さんの小学校では、ズル休みなんてもってのほかだったし、泳げない=ちょっと恥ずかしいみたいな雰囲気があり、泳げないで終わる子なんていませんでした。

水泳大会や、水泳部もありました。

コツメの小学校には大会も部活もないですし、泳げない子は泳げないまま、たのしく水の底の碁石を拾ったりして終わります。泳げないからといって恥ずかしいと感じる雰囲気はありません。

 

そんなことを感じながら、このあいだの日曜日から大河ドラマ「いだてん」の第二部がスタートしました。

浜松出身の東京オリンピック招致に貢献した田畑政治を阿部サダヲが演じています。

すっっごく面白いです。

でも、あのサダヲの育った浜松の描写(浜名湖でふんどし姿の男の子が飛び込んだり古式泳法で泳いでいる)を見ていると、私の育った浜松が水泳に思い入れが強い場所だったんだと思いました。

 

コツメの父さんは田畑政治と同じ高校なのですが、先日「いだてん」を見ながら

 

「そういえば、俺の高校って年に一度だったか忘れたけど水着を着たOBのおじいちゃんが数名やってきて、おじいちゃんによる古式泳法を見るという授業があった。」

 

と言っていました。

水着のおじいちゃんのリーダー格の人が、

「なんとかかんとか!」

と古式泳法の種類をいうと、プールの中で並んだおじいちゃん達がさっとその泳ぎをやるのだそうです。

 

コツメの父さんたちはプールサイドからそれを見学するという授業…。

想像したらシュールですよね…。

 

ちょっと書くつもりが長々書いてしまった

 

 

コツメの母さん。でした!