こんばんは。
コツメの母さん。です。
皆さんはお吸い物やお味噌汁を作るときに出汁は何でとっていますか?
煮干しでしょうか。鰹節でしょうか。
私はコープの顆粒タイプのだしの素か、
ちょっとおリッチに茅乃舎のだしパックを使います。
本当はですね…。
出汁はなにでとるか、というとき、ちょこっとだけなんですけど「だしの素いれてます!」って言いにくいところがあります。
たとえば年配の方にとか、きちんを家事をやっているんだろうなぁという方には言いにくい感じがあるんですよ。
なぜならなんとなくですが、こういう顆粒タイプやだしパックでとってるのって
ラクしている
面倒くさがりや
だらしない
みたいなイメージが少しあるんですよね…。
あるんですよね、というか、昔はあったんだと思います。
私が小学校低学年くらい、1970年代後半くらいからでしょうか。
こういうお料理を楽にするものがたくさん出てきた気がします。
80年代に入ると「ウーマンリブ」世代の女性が社会に進出するようになってきました。
そういう世相も関係して居るんじゃないかなと思います。
うちの母もがんがん働く人だったので仕事が忙しかった上、近くに姑さんや親もいず、自由だったこともあり、こういったものはすぐに家庭にいれていました。
電子レンジも早かったし、クーラーも早かったです。食器洗い機もありましたね。(とんでもない騒音がするのですぐにやめちゃったけど。)
食に関しでもうちの母はこだわりがなく、あの頃はまだまだインスタントものにバッシングが多かったときでも率先して買ってくる人でした。
冷凍食品もうちは利用するのが早かったです。忘れもしません。小さなハンバーグ。冷凍庫から出して、油であげていたけれど、ちょっと個性的な味がしました。
だしの話に戻ります。
小さい頃はお味噌汁を作るとき、鰹節をけずっていた記憶がありましたが、小学校中学年くらいからは母は顆粒のだしの素を愛用していました。
私の子供時代は、まだまだこういう手抜きのお家が少なかったので、
実は…少し母の母親像に劣等感を抱いていました。
よそのお母さんはドラマにでてくるようなお母さんに見え、自分の母のことが少しはずかしく思っていたのです。
学校では頑張って自分のできることは努力して虚勢を張っていましたが、自分の範疇を超えて「家」が出てしまった時の恥ずかしさを何回も経験しています。
例えばうちの母はケーキを食べるときにスプーンだったり、おそろいのスプーンやフォークがそろっていませんでした。
食器もバラバラ。おセンスというものもありませんでした。
片付けも苦手でしたね…。なのでお友達のお家に遊びに行くとお友達の家がまぶしかったです。
ちびまる子がたまちゃんの家へいって「いいなぁ…」と思うのに似ています。
紅茶もティーパックなのですが、私は一人1つ使うことを知らなくて、友達からそれを指摘されたとき、友達は全く気にしてなかったと思いますが、私は恥ずかしくてたまらなかったのです。
「麦茶にお砂糖なんていれないよ」と言われた時でさえ、(そういう文化もあるのに)恥ずかしさでいっぱいになってしまう子どもでした。
よそでは違うウチのあたりまえが出ると恥をかいてしまうという心配は、自分でお金を持って公共の乗り物を使い、用意ができる年頃(高校生)になるまで続きました。
小学校5年生の時のことです。
小5になると「家庭科」の授業が始まりました。私は家庭科の授業をとても楽しみにしていたのですが、家庭科の先生がS先生という50代後半くらいの女性の先生で、話し方がきつくていつも表情がムッとしているので子供達から嫌われていました。
そんなある日、家庭科で味噌汁を作ることになりました。
教科書を読んでまずつくりかたを学び、班ごとに別れてプリントに準備するものや工程を書いていきました。
小学校の家庭科は、調理実習で使う材料は班の子どもたちが分担して持ってくるものを決めていました。
だしを持ってくる人、具材を持ってくる人、味噌を持ってくる人…などが話し合われました。
翌週の実習の日。
みんながワクワクしながら家庭科室へ集まり味噌汁を作ることになったとき…。
隣の班をみると例のS先生がおとなしいM子ちゃんになにやら話しています。
先生の顔は怒っていて、M子ちゃんはうつむいています。
S先生の手にはM子ちゃんがお家で持たされたらしい顆粒タイプのだしの素の小さな袋がありました。(コツメの母さんの家でも母がヘビロテで使っているやつでした。)
だから先生の怒っている理由はわかりました。
出汁をとる勉強をするのに、顆粒タイプのだしの素をもってくるとは…と言っていたのだと思います。
おとなしいM子ちゃんの顔は真っ赤で、目には涙がうかんでいました。
私は違う班でしたが、
心底M子ちゃんがかわいそうでなりませんでした。
それはもう、まぎれもない同情です。
私だってもしかしたら、だしをもってくる係だったら、同じ目にあったかもしれなかったからです。
でも…
M子ちゃんだって好きでだしの素を持ってきたわけではなかったと思うのです。
用意したのはお家の人でしょう。
「明日はお味噌汁を実習でつくるからだしを持っていかなくちゃいけないの。」
となったとき、M子ちゃんのお家にかつお節や煮干しがなかったのかもしれません。
(当時はコンビニや深夜営業のスーパーなんてありませんでしたからね。)
それでも「みんなに迷惑をかけてはいけないからこれをもっていきなさいね。」ともたされたものかもしれないじゃん、と思ったのです。
戦前生まれの家庭科の先生からしたら、だしの素を使うような母親はどうなの?という価値観だったのだと思います。
それを含めてのお叱りのように私には見えたのです。
でも顔を真っ赤にして恥ずかしそうに目に涙をうかべているM子さんをみたら、母親や家を否定されているようで恥ずかしく、悲しかったんじゃないかなと思い、可哀想になってしまったのです。
M子ちゃんがそのあとどうしたかは覚えていませんが、M子ちゃんの真っ赤な顔が忘れられないコツメの母さん。です。
月日は流れて…。
自分が親になり、娘が小学生になったときのことです。
遠足から帰ってきた娘が、
「先生と一緒にお弁当を食べたんだけど、先生のお弁当セブンイレブンだった〜。」
と言ったのです。
若い男の先生だったのですが、私はちょっと驚いたんです。
昔は学校の先生もお弁当が当たり前だったのに、コンビニの袋から出しちゃうんだと思ったのです。
ある時、同じように驚いたというお母さんがネットの掲示板に書き込んでいたのを読みました。
すると、同じ世代のお母さんらしき人の返事はみな驚いたお母さんに否定的だったのです。
先生は激務なのだから、お弁当なんて作る暇ないと思います。
コンビニのどこが悪いのですか?
などなど…。
確かにそうです。
昔の先生も忙しかったけどコンビニなかったからなぁと思ったりしましたが、先生のコンビニ弁当には世間は寛容な時代になっていたのです。
そして私が驚いたという感情はあの頃のS先生と同じ感覚だったのかもしれないですね。
でも私はS先生みたいに事情も聞かずに押し付けはしないけれど…。
そしてそんな寛容な時代になってよかったなぁと思っているんです。
私だってそんな時代だったらドキドキしないで済んだこと、たくさんあったからです。
だけど一方で、寛容すぎるのもどうかな?と思う自分もいます。
寛容すぎると真面目にやって居る人が損しちゃったりすることもたくさんあるからです。
何を言いたいんだかわからなくなっちゃったけど、お出汁の思い出です。
たまには真面目にちゃんと出汁をとってみようかな、と書きながら思った
コツメの母さん。でした。