こんばんは。
コツメの母さん。です。
平成思い出シリーズ、平成21年22年を振り返って行きたいと思います。
平成21年 ピヨ姐小学4年生 コツメちゃん2歳
6月 新型インフルエンザが流行。WHOはパンデミックと判定する。
毎日毎日新型インフルの怖さをマスコミが連日放送。マスクバカ売れ。売り切れ続出でした。
コツメの母さんもピヨ姐やコツメが罹ったら大変とマスクは常備し、あとは手洗いうがいくらいしかできませんでしたね…。
新型で亡くなられた人もいたので重く受け止めて対策しなくてはいけないのは分かりますが、あまりに騒ぎ立てたせいで海外で新型に罹った人はネットなどで非国民みたいな言われ方をしていました。
政府も水際対策といってたけど、そんなウィルスなんてとめるの絶対無理に決まっていますよね。
結局ワクチンも作られ、大パニックになることはありませんでした。それがわかると一斉に非国民みたいなことを言う人がさーっと減りました。
こういうことって繰り返されますよね…。私もついつい踊らされてしまうのですが、おかしな判断は脅されたり怖いと思う気持ちから起きるので冷静におかしいなと思ったことは調べることが必要だなぁと思いました。
8月 のりピー逃亡
夏休みはのりピーの元夫が渋谷の路上で覚醒剤で逮捕されました。警察は妻ののりピーにも任意同行を求めたのですが、行方をくらます。
これもすごかったですね。警察から逃げて何日も行方をくらましたアイドルなんて初めてじゃないでしょうか。
のりピーの逃亡が発覚してから「あの時の彼女はおかしかった」と言って「崖の上のポニョ」のDVD発売のCMの様子が何回も流れましたね。
のりピーのろれつがまわっていない動画です。
2歳のコツメちゃん、「崖の上のポニョ」が大好きでした。
DVDを何回もみて、「ぽぉーにょぽにょぽにょ さああのこ」と歌っていました。
ポニョのぬいぐるみを買ってあげたらいつの間にか黒目が片方なくなっていたことがありました…。
もちろん犯人はコツメ。食べちゃったかもしれません(@_@)
選挙のだるまのように片目が黒のポニョ…。
コツメはいろいろなものを壊すハカイダーでした。
片目は見つからなかったので「もう!」と思いながら黒のフェルトを丸く切ってボンドではったのを思い出します。
そんなコツメちゃん、すこしずつおしゃべりも増えていました。ピヨ姐は
「あの頃はかわいかった…」
とよく言います。そんな平成21年でした。
平成22年 ピヨ姐5年生 コツメ3歳
NHK朝ドラ ゲゲゲの女房
コツメの母さん、平成22年の3月から始まった朝ドラ「ゲゲゲの女房で」朝ドラ(視聴者)復帰を果たしました。
平成20年の「だんだん」を途中で挫折した以来の朝ドラ復帰。以来ずっと見ています。
コツメちゃんもいっしょにゲゲゲをみるようになりました。
オープニング曲、いきものがかりの「ありがとう」を聴くとゲゲゲの女房を見ていたほんわかした日々を思い出します。
ヒロインを演じた松下奈緒さんもそうですが、夫役の向井理さんが大ブレイクしましたね。ヒロインの弟役で星野源さんも出ていました。
漫画家水木しげると妻の自伝がもとになったストーリーでとても面白かったです。
いろいろ起きた小学校での出来事
そんなほんわかした日々もつかの間…。
ピヨ姐が新5年生になってすぐのことでした。泣きながらピヨ姐が家に帰ってきたのです。
どうしたんだろうと思っていたら
「机の中に入っていた。」
とシワシワになったノートの切れ端を三枚を私によこしたんです。
そこには
「きえろ」
「生きてる意味なし」
「めざわり」
と書きなぐってありました。見た瞬間、胸をザクッと切られたような気持ちがして、心臓がドキドキしました。
なんでこんなひどいことを書くんだろう。
誰が書いたかは目撃者がいたのでわかっていたのですが、「その男の子と何か今日学校であったの?」とピヨ姐に聞いても「何もないよ。」というだけなのです。
質問を変えて男の子が今日どんな様子だったか聞いてみると
「運動会の応援団をクラスから2名出すことになって、男の子と私と私の友達が立候補したの。じゃんけんで決めることになったんだけど私と友達が勝って応援団になったんだよ。そしたら男の子が遅出ししたっていいだして、先生が入ってそんなに言うならもう一回じゃんけんではなくくじ引きをする?という事になったんだけど男の子はもういい!って言って、その日は給食も食べなかった。」
というのです。
もう理由それじゃん…それしかないじゃん…。
と100パー思うところを娘は違うと思うというのです。
とにかくこの件は新学期が始まったばかりなので担任の女性の先生に一応言っておくことにしました。
先生のところに私は切れ端を持っていき、
「こういったことが新学期早々あるととても心配です。相手の親御さんに言う必要はないですが、一応先生には知ってほしいです。」
と言いました。
するとその女性の先生、困りましたよねえ…みたいな表情をしたあと笑顔で
「大丈夫です。気にしないでください。お母さんも知っていると思いますが、応援団の件です。実は今日、授業の時わたしあてにも同じような紙を彼から受け取っています。私の教科書にはさんでありました。」
と言ったんです。
私はびっくりです。先生に「きえろ」「生きてる意味なし」「めざわり」って書きます???
まずその男の子に驚きましたが、私はもう一つ、先生にも一抹の不安を覚えました。
自分ももらってるから気にしなくていいってどういうこと?
こういうひどい言葉を書いたら注意しないの?と思いました。
なんとなくその先生が、クレームをつけてきた親には共感しておおごとにしない考えの人なんじゃないかな…と。
そして問題児の子はなるべく放っておく人なんじゃないかと思いました。
でも娘にとってはやさしくてほめてくれる素敵な先生だったんです。
なにも起きなければいい先生。でもなにか起きた時は心配な先生でした。
私は男の子も先生にもある種の不安を抱きましたが、一番不安を抱いたのはピヨ姐に対してでした。
どうしてそんな出来事があったのにむすびつかないんだろう…。と思ったのです。
よく年、いやな予感が的中することになります。
学級崩壊です。
先生が来なくなってしまいました。
この一年、ピヨ姐の友人関係も女の子特有のくっついたりはなれたりがあり、精神的に幼い娘は空気が読めず、怒ったり泣いたりすることも多くなりました。
ピヨ姐が酷い手紙をもらってきた話を書きましたが、クラスが荒れ始めたのと同時に娘もクラスメートにひどいことをしてしまい謝罪したこともあったのです。
つまり被害者の時もありますが、加害者の立場にもなったんです。
難しい時期ですが、空気を読んでうまく立ち回れる子がたくさんいる中、娘はもがいていました。
ここから心配した通り、ピヨ姐は相当苦労することになります。
元気で明るかったピヨ姐の性格がすこしずつ変わり始めた一年でした。
コツメの母さん。でした!
追記。
あれから10年近く経って気づいたことがあります。
「きえろ」「生きてる意味なし」「めざわり」という言葉。
私とピヨ姐はまっすぐにそのひどい言葉をうけとめてしまったんですね。だから私は心臓がドキドキして、娘は泣きました。
だけど、その言葉の重みは今の子は軽いみたいなんです。
もしかしたら昭和の「ばか」「あほ」「お前の母さんでべそ」レベルなのかもしれません。
その男の子にとってあの言葉は彼の知りうる最大級の悪口だったのだと思います。
だからといって良いとはいえないし、おかしいですけどね。
そして時間は流れ、コツメがピヨ姐と同じ小学校5年生の時、この話をしました。
コツメは
「はぁ!?そんなことでお姉ちゃん泣いちゃったの?私なんてもっとひどいこと言われてるし、そのくらいの悪口ならみんな言ってるよ!私だったらおんなじ言葉を書いてそいつの机にいれるね!そいつが文句言ってきたら、おめえが先にいれたんだろうが!あぁ?って言うね!」
と言いました。
お、おおぅ…と思ったコツメの母さんでした。