こんばんは。
コツメの母さん。です。
平成思い出シリーズも平成16年になりました。
この年の夏までコツメの母さんは家族でLAで暮らしました。
アメリカ生活も後半です。
楽しいこともたくさんあった海外生活ですが、ストレスがたまってしまったようで夜になるとぜんそくのように咳がはじまり、翌朝までおさまらないという日が続くようになりました。
詳しくは↓
読み返すと暗いことばかり書かれているのですが、もちろん楽しい思い出もたくさんありました!
不安で不安でたまらなかった海外生活、引越し先がLAに決まった時、
「アメリカってだけで明るそうなのに、さらに明るそうなLAなんて根のくらい私には無理…」
と思っていました。
でも、LAに行くなら絶対に行きたいと思っていたところがあります。
それは…
マリリン・モンローのお墓まいり
コツメの母さん、大好きなんです。マリリン・モンロー。
子どもの頃、ジェームス・ディーンとマリリン・モンローの写真っていとこのお兄さんの家とか、ちょい不良の家とかスナックとかに何かしらの形でありましたよね。
コツメの母さんは小さい頃、あのポーッとしたマリリンモンローの写真をみて「美人さんだな」と思っていました。
私は昔の宮沢りえさん、二階堂ふみさん、沢尻エリカさんなど、ちょっとムチっとした感じの女優さんが好きなのですが多分ルーツはマリリンモンローです。
そしてとうとう授業のない日にコツメの父さんに連れていってもらいました。
場所はウェストウッドメモリアルパークです。
ビルが建ち並ぶところをちょこっと入ると「こんなところに緑のある墓地があるのね。」と思います。少々わかりにくい場所にあります。
土のところに墓石がおいてあるお墓らしいお墓もありますが、マリリンはロッカーみたいなお墓です。お花が飾ってあったのですぐにわかりました。
本名のノーマジーンではなく、マリリン・モンローになっていました。
お墓は静かで誰もいませんでした。この墓地にはナタリーウッドやジャックレモンのお墓もあります。
長期休みの時は、ピヨ姐をアナハイムのディズニーランドに連れて行きました。
日本と違うなぁと思ったアナハイムのディズニーランド
アナハイムのディズニーランドのお城は、シンデレラ城ではなく、眠れる森の美女のお城です。
1dayチケットの値段も東京より高いです。1万円くらいします。
土日はまぁまぁ混んでいると思いますが、平日は空いていました。
空いていたからでしょうか。ポツンと立っている(もしくは座っている)プリンセスにちょいちょい会えました。ピヨ姐、あの頃ディズニープリンセスが好きでした。
ピヨ姐が大好きだった白雪姐さん
だれもいないので、白雪姐さんの井戸(Wishing Well)の前でお話もできます。
そのうち王子もきていました。
オーロラ姐さん
ベル姐さん
歩いていたらちょっとした建物と建物の間に一人でちょこんと座っていました。
誰もいないし、スタッフすらいない。黄昏姐さんでした。黄色だけに。
ジャスミン姐さんとアラジンの兄貴。
ストーリーテリングの時間帯に行くと会えました。ちょっとしたお芝居をしてくれます。
アリエル姐さん
なんとなく学生感ただようアリエル姐さんでした。「UCLAの三回生です。」という感じがします。
アリスちゃん。いい笑顔です。
15年前なので今とは違うかもしれませんが、当時新鮮に思ったことは
開門ダッシュする人がいない。みんなゆっくり楽しそうに歩いている。おじいちゃんもおばあちゃんも車椅子の人もゆっくりいってもパレードが見れる。
大人は大人らしく、子供は子供らしいこと。これはディズニーランドだけではなく普段から思いました。
パレードや食べ物の味、お土産の質はだんぜん東京ディズニーランドの方が上でしたが、いやな思いをすることなく、ゆったりと楽しめるのはだんぜんアメリカでした。
アメリカは子どもにやさしいのです…。
8月 帰国
たったの一年なのに、成田空港から移動する時、バスが定刻通りビシッときたことに
「すごい…!」
と思いました。
まだ4歳だったピヨ姐は、完全に言葉がルー化。
まさにトゥギャザーしようぜ!みたいな感じでした。
心配した幼稚園にもすんなり戻ることができ、さーっと英語を忘れて行きました。
そして帰国して驚いたのが、ひな壇芸人だった「くりぃむしちゅー」がテレビ番組のMCになっていたことです。
私がいなかった一年でくりぃむしちゅーは伸びていました。
日本に帰って来てもちもちしたお米がおいしくておいしくて…。
「あぁぁぁぁ美味しい!!!」
と思いました。
そんな平成16年。
コツメの母さん。でした!