こんにちは。
コツメの母さん。です。
平成思い出シリーズ、意外と書くのに時間がかかります。
いつもはだだだっと書いてポチッとupして「あ、誤字脱字発見!てへ。」、サクッと書き直し。更新。
なのですが、平成思い出シリーズは、時系列や間違っていないか確認しながら書いているのでいつもより時間がかかります。
それなのにあんな出来栄え…。こんな出来栄え…。まぁいいか。
いつも読みにくくて申し訳ありませんがよろしくお願いします!(´・_・`)
そんなわけで私の平成12年は1月にピヨ姐が生まれてお母さんになった年です。
子育てでいっぱいの日々が始まったのです…。
元旦 何事もなかった2000年問題。
この年のお正月は実家に帰らず、コツメの父さんと二人で過ごしました。
なぜなら父さん、システムエンジニアだったため、2000年問題がどうしたこうした、で何かあったらすぐに会社へ行けるように自宅待機しなくてはいけなかったのです。
2000年問題とは2000年になった時にコンピューターが誤作動するかも、といわれた年問題のことです。
結局何事もおこらず終わりましたね。
2000年問題に加えて、私も臨月だったから遠出はもう無理でした。寒いし、インフルエンザや風邪もはやっていますしね。
いつ生まれるのか…。お腹がパンパン。お腹の皮膚がひっぱられすぎてピカピカしてきて、ちょっとかゆい。
お腹の中のピヨ姐は郷ひろみの「Goldfinger99」が流れるとなぜかばたばた暴れていました。
1月某日 ピヨ姐が生まれました。
この時父さんは出張でアメリカに行っており、立ち会えず。
ちょうどアメリカから日本に帰るフライト中が私の陣痛、着陸して入国した時は生まれていたため、全く知らない間に生まれちゃったようなものです。
1月〜5月 ふにゃふにゃのピヨ姐と二人きり。
父さん、この時、人生の転機になるお仕事をしていたので、長期出張ばかりしていました。
なので私はアパートで赤ちゃんと二人きりの暮らし…。でも私、お母さんになったら
動物みたいになっちゃった
みたいで、本当はだれにもピヨ姐を触らせたくないという感情があったんです。
近づいたら「がるる…」って感じです。
ヒトなので、がるるはせず、ヒトらしくしていたけれど、とにかくピヨ姐のお世話をするのが楽しくて仕方がなかったのです。
だから二人きりでもうれしくてうれしくて頑張り続けていたのですが、見かねた両親が心配して
「もう静岡に帰っておいで」
と迎えに来てしまったのでした。
コツメの父さんはといえばアメリカからちょっと戻ってくるたび、ベビーベッドの中をみて
「へぇ〜。でかくなってるね!」
と言い、しばらく過ごしたらまたアメリカへ。
同僚にピヨ姐が生まれた日はいつかと聞かれて
「一月○日に生まれたんだよ。」
と誕生日ではなく予定日を言っていたというくらい多忙&子育て不参加の日々でした。
そんなわけで静岡で一ヶ月ほど過ごしました。
今思い返すと、父と母に赤ちゃんと過ごさせる時間をつくることができてよかったです。
9月 シドニーオリンピック開催 〜ヤワラちゃん事件〜
この年は夢中で子育てをしていたため、あまり世間で起きたことの記憶がありません。
ピヨ姐が赤ちゃんの時はなるべくテレビをつけないで過ごしていた気がします。
本来私はテレビ番組はじっくり見たいタイプなので、赤ちゃんがいるとミルクだオムツ替えだとありますし、夜中は疲れて寝ていたので一番テレビを見ませんでした…。
楽しみだったのは15分だけで見られるNHKの朝ドラとラジオ感覚で聞ける「踊る!さんま御殿」くらいでした。
でもオリンピックは楽しみにみていました。
特に柔道の田村亮子さんが金メダルをとれるかどうかはドキドキしながらスタンバイしていました。
前回、前々回とまさかのオリンピック銀メダル、そんな中ヤワラちゃんは
「最高でも金 最低でも金」
と言います。金ってカネじゃないですよ?キンです。応援したくなるではないですか。
ところが悲劇がおきます…。
テレビをつけてオリンピックの他の競技を観ながら待っていると突然画面の上に
「田村亮子選手 金メダル獲得」というニュース速報のテロップがでたんです。
「え???私、チャンネル合わせていたよ…?なんで?」
と思ったらコツメの父さんが私の知らないうちに勝手にチャンネルを変えてそのままにしていたことが発覚。
私、怒り狂いました。コツメの父さんは普段から勝手にチャンネル変えたり、CMが始まると時間をおしむかのように他局にちゃかちゃか変えて、私の目をチカチカさせたり本来見たいものを見逃させるということが常だったんですね。
もともと落ち着きのない人なんですが、テレビに関しても見方が落ち着きないんです。
そしてとうとうその悪癖のせいで、「子育てで忙しくて余裕がない毎日だけれどヤワラちゃんの金メダル獲得だけはリアルタイムでみたい!」という私の夢を彼は奪ったのです。
それは「ヤワラちゃん事件」として私と父さんの心に刻まれています。
私がコツメの父さんに怒ったワースト5に入る「ヤワラちゃん事件」のお話でした。
以来私はこの失敗を忘れず、オリンピックの時は必ず競技予定時刻を何回もチェックするようにしています。
ピヨ姐、ついこの前生まれたのにオリンピックの時にはハイハイし、移動可能になっていたのですね…
赤ちゃんの1日1日ってすごいです。
この年のオリンピックはマラソンで高橋尚子選手が金メダルを獲得しました。試合前はそんなに騒がれていなかった気がするのですが、父さんはその頃から
「マラソンは日本女子の代表選手のなかで高橋尚子選手がメダルを獲れる可能性が高いと思うよ。」
といっていたのでちょっと驚いたのを覚えています。
年末
ピヨ姐を連れて父さんの実家に帰省しました。
その時世田谷一家殺人事件が発生します。
犯人の手掛かりがたくさん残っているのにも関わらず依然解決していません。
何度も特集が組まれたり、再現ドラマなどを見ますが、本当に恐ろしい事件です。
そして20世紀が終わりました。
振り返りながら、父さんは仕事が忙しく私は子育てに夢中で、なんとなく私が父さんに不満を抱くことがこのあたりから増えてきたなぁと思った
コツメの母さん。でした!