おはようございます。
コツメの母さん。です。
平成思い出シリーズ。今日は平成8年(1996年)の思い出を書いていきたいと思います。
この年のいつ頃かは忘れてしまったのですが、コツメの母さん、東京のアパートを引き払って静岡の実家に帰ることにしました。
もう一度家族で暮らしたいなぁと思ったのがきっかけです。
東京へ出てくる前、私は両親の前ではわりと良い子で、不平不満はほとんど言いませんでしたが、本当は家がとてもいやでした。
思春期の頃は家もいやだったし地元の静岡も嫌いでした。
父と母は児童養護施設で働いていたのでたくさんの子供の親代わりをしていました。
なので私は家族だけで暮らす、という普通の暮らしをしたことがなかったのです。
両親は同じ仕事をしているため、四六時中いっしょにいるからか、仕事のことでよく喧嘩をしていました。
私はそれを聞くのがすごくいやでした。それでいつしか早く自立したい、一人で暮らしたいと思うようになっていきました。
そして高校を卒業して東京にでたのですが私が就職して働いていた頃、仕事命だと思っていた母親が突然退職をし、普通の一軒家に引っ越し、普通の暮らしをするようになっていたのでした。
母は仕事から解放されるとかなりおだやかになり、父とも仲良くなっていました。
いつか結婚する前に、普通の家で家族だけでと暮らしたいと思っていた私は、実家に帰ることを決めました。
一度離れて暮らして見ると静岡のよいところがたくさんみえるようになりました。
なかなかアルバイトが見つからなかったのですが、夜間に開講する予備校の受付の仕事をすることになり、昼間は家で英語の勉強や家事手伝いをしていました。
休みの日は車に乗って国道を運転して地元の農家の方が出している野菜や果物を買いに行きました。
英会話スクールにも通って、アメリカ人の先生やクラスの友達とバーベキューにいったりもしました。
田舎というのは東京にない豊かさがあります。ずっと静岡にいたら気づかなかったかもしれません。
とにかく楽しかったです。
安室ちゃんブーム
1996年といえば、
茶髪の長い髪、細眉、厚底のブーツの安室奈美恵さんのファッションを真似るアムラーブームでした。
予備校に通ってくる高校生の子たちがかわいくて、休み時間になると受付にきては
「コツメの母さん、安室ちゃんってかわいいよね。私、安室ちゃん大好き。」
「コツメの母さん、いっしょにプリクラ撮ろうよ!」
と、きゃっきゃしているのが見ていてかわいかったです。
コギャルです。コギャル。彼氏と撮ったというプリクラも見せてくれました。
あの当時のプリクラは補正なんてないですし、カメラの性能もよくないので、なんとなく顔が赤みがかった仕上がりでしたね…。
男の子は、ダボっと腰でズボンを履いていました…。
制服はミニスカートにルーズソックス。
コツメの母さんの時代にはなかったので、ちょっと履いてみたい願望がありました。
安室ちゃんと同時期に小室さんプロデュースで人気のあった華原朋美さんのファッションも人気がありました。
GUCCIやプラダなど黒基調のバッグや財布が流行りました。
小室さんブーム
小室哲哉プロデュースの曲が売れに売れていた時代ですね。私は小室さんのTMNの頃は好きだったのですが、この時代の浮かれた感じはあまり好きではありませんでした。
でも今あの頃の曲を聴くと懐かしいなぁと思います。
華原さんの「I'm proud」とか、安室ちゃんの「Don't wanna cry」は本当にいい曲だなぁと思いますし、今でも大好きです。
月曜日はダウンタウンが司会をしていた「HEY!HEY!HEY!」という音楽番組が面白くて楽しみに見ていました。それが終わったらロンバケ。
男の子がピアノを弾けると素敵さ割り増しするんだなぁと思いました。
この年は「SMAP×SMAP」の放送も始まりました。そしてメンバーの森くんが突然脱退してしまったのもこの年でした。
ふたりっ子と赤毛のアンにはまる
NHKの朝ドラ「ふたりっ子」にハマり、朝の楽しみになりました。同時期にBS放送だったと思うのですが、世界名作劇場のアニメ「赤毛のアン」の再放送をやっているのを見つけてなんとなく見ているうちにこちらもハマってしまいました。
朝ドラふたりっ子では双子のヒロインのひとりが内野聖陽さん演じる将棋の棋士と結婚するのですが、私、初めて内野さんの演技を見てこの俳優さんはかっこいいなぁと思いました。
そして「赤毛のアン」。毎日の楽しみになってしまいました。
その数年後にブルーレイが発売され、大切に持っています。いまだにアニメ版は時々みてしまいます。
アニメ「赤毛のアン」の素晴らしさは絵ももちろんですが曲です。OP「きこえるかしら」ED「さめないゆめ」は素晴らしいです。
挿入歌もすごくいいんですよね…。
いつかプリンスエドワード島へ行って見たいですわ…。
そんなわけで、私にとって平成8年は穏やかな一年になったのです。
コツメの母さん。でした。