こんばんは。
コツメの母さん。です。
平成思い出シリーズ。今日は平成6年(1994年)を振り返っていきたいと思います。
独りよがりの思い出ブログですが、読んでいただいてありがとうございます。
コツメの母さんの平成6年は就職した職場、最後の年になりました。
4月の人事でも私は(予想していましたが)恐ろしい上司とペアを組まされることに決定。
そして、いっしょにオーストラリアや東京のホットな場所に私を誘ってくれた自他ともに認めるミーハー先輩が3年のお勤めを終えて、この年の3月、故郷へ帰ってしまったのでした。
私は辛い毎日を
「来年の4月からは自分の好きなことをしよう。今年度の毎日は最後の日々だ。」
と思って過ごしました。
就職氷河期
平成6年は「就職氷河期」、と言う言葉が「同情するなら金をくれ(安達祐実)」「すったもんだがありました(宮沢りえ)」・・・などなどの言葉とともにこの年の流行語の一つに選ばれました。
就職氷河期とは
バブル崩壊後の就職が困難だった時期(1993年〜2005年)を指す言葉。リクルートの雑誌「就職ジャーナル」で提唱された造語
だそうです。(Wikipwdiaより)
今の36歳から48歳くらいの大学生だった人ですね…。
私は大学生のお世話係だったので学生と関わることが多かったのですが、世の中の景気がだんだん悪くなってきたからかほんの2,3年で学生の雰囲気が変わり始めたなぁと感じました。
特に感じたのは四年制大学に通っている学生。お金をしっかりやりくりしてつつましく生活している子が多かったです。
私が学生の頃より、有料のイベントなどに参加する人数が減りました。
無駄なことや納得のいかないことにはなるべくお金をつかいたくないという意思が見受けられるようになりました。
今その学生さんも43、4才くらいです。どうしているんでしょうか…。
明るい世の中からだんだん暗い世の中になってきたような感じがしました。
4月は井の頭公園バラバラ殺人事件(未解決 時効)や台北発名古屋行きの中華航空機が名古屋空港で着陸失敗し264人が亡くなるという恐ろしい事件や事故がおきました。
そしてこの年の事件で一番心に残っているのが
6月に起きた松本サリン事件です。
松本サリン事件
1994年6月27日深夜、長野県松本市の住宅街でオウム真理教がサリンを撒き、周辺の住民8名が死亡した事件です。
朝起きてテレビのニュースで報道されたときはとにかく誰がどうしてこんなことを起こしたか全然わからなかったので大騒ぎになっていました。
のちにオウム真理教が手に入れた土地の件で住民から反対を受け、裁判を妨害するために裁判官官舎を狙ったことがわかるのですが…。
そんな中、裁判官官舎の近くに住んでいた河野さんが日本中から注目されてしまいます。
警察もマスコミも河野さんを疑って、ほぼ犯人扱いの日々でした。
家に薬(農薬)がたくさんあったとか家から煙が出ていたとか…。いろいろな話が伝えられました。
私も職場で休み時間にテレビを見ていました。河野さんは、奥様がサリン事件で意識不明の重体であるにもかかわらず、連日マスコミにおいたてられることになりました。
インタビューでは涙を流したりとか怒ったりなど感情的にならず、たんたんと論理的に説明していたのを覚えています。
その落ち着きぶりも返って「怪しい」と思われたりしていました。
本当にひどい話です。
このことは報道にたいする教訓になりましたが、今もマスコミはひどかったりしますね…。
松本人志の本「遺書」がベストセラー
昼休み、職場でテレビを見られる休憩室がありました。この頃の朝ドラや、ニュースを思い出すといっしょに休憩室の景色が浮かびます。
私の職場は学校の日直当番のように、朝の当番の日がありました。その日は早くに職場に行って鍵を開けたり、建物の点検をしたりします。軽くお掃除もしていました。
最後に新聞をとりにいってホテルみたいに揃えて閲覧できるようにしていました。
休憩室では新聞の他にみんなが読めるように週刊朝日と週刊新潮を頼んでいて、
昼休みに私は週刊朝日で松本人志さんが連載していたエッセイを読むのを楽しみにしていました。
「遺書」はその連載を単行本化したものでこの年のベストセラーになりました。250万部売れたそうです。
今だに覚えているのは、子供の頃松っちゃんが突然歩けなくなってしまった話です。
その時のおかんの行動を松っちゃんは感謝していて、親思いな一面が書かれていました。
それから小学生の時の浜ちゃんの個性的なファッションの話。
読みながら吹き出すことも多かったです。
そして辛口批評もおおかったです。
辛かった仕事
短大を卒業してつらいつらいと思いながらの日々でしたが、都内のいい場所に職員さんの住む寮があったので生活費は格安ですんでいました。
今思えば、私がもう少し強ければ、割り切ることができれば最高の職場だったのだと思います。貯金もできますしね。
でも当時はこんなに辛いところはない、私はなんて運が悪いんだろうと思っていました。
仕事の内容はとても簡単で、ただ時間がすぎていくような感じがして本当にこれでいいのかと思っていました。
ブログを書きながら94年の写真を探していると当時住んでいた寮の部屋の写真がありました。
↑ミニコンポです。懐かしい。
CDデッキとラジオとダブルカセットがかさなっています。
人形はBEATLESのフィギュア。近所を散歩していた時に雑貨屋さんで衝動買いしました。
ブラウン管テレビとビデオデッキ。テレビの後ろ、出っ張ってましたね〜。
布が時代…。
映画
休みの日は平日が多かったので友達と遊びに行くよりも一人で過ごすことが多かったです。この頃から映画をよく見るようになりました。
映画館にも行っていましたが、近所のツタヤさんでビデオを借りてきては見ていました。
そのツタヤのある道路で私はしょっ中、自転車に乗るなべやかんさんを見かけました。
家が近かったのかもしれません。いつも自転車に乗っていました。
1994年公開の映画で面白かったのがシュワちゃん主演の「トゥルーライズ」とロビンウィリアムズ主演の「ミセスダウト」です。
トウルーライズは面白い!
妻や子供達から軽くみられているビジネスマンのシュワちゃん。がしかし、シュワちゃんの正体を家族は誰も知りません。
シュワちゃんの本当の仕事は秘密機関の諜報員なのです。
出張と言ってでかけていますが、外国で命がけの仕事をしているんです。
本当に面白い映画です。
その中でちょっとしたシーンなのですが、印象に残っている場面があります。
危険に巻き込まれながら仕事を終え、家に帰って出張(ではないんだけど)のお土産を娘に手渡すシュワちゃん。
そのお土産がスノードームなんです。(あのガラス玉に水が入っていて揺らすと雪がちらちら舞うやつ)
「ありがとう。」と言って受け取った娘ですが、シュワちゃんがいなくなるとゴミ箱にポイ。
私は「お土産にスノードームってダサいんだ…」と思ってしまいました。
それから数年後…コツメの父さんがお土産でスノードームを買ってきたんです。
娘は喜んでいたのでホッとしました。
ていうか、スノードームってかわいいですよね…。
ミセスダウトも面白い!
子供みたいなロビンウィリアムズ演じるお父さんダニエルは売れない俳優。明るくて面白いから三人の子どもたちからは絶大な指示をうけています。でも、妻は精神的に幼い夫が許せません。
そしてとうとう離婚を突きつけられ、ダニエルは追い出されてしまいます。
愛する子供達とは面会を制限され、思うように会えなくなってしまうのです。
会いたくて会いたくて仕方のないダニエルにアイディアが浮かびます。
メーキャップアーティストの兄に頼んで老婦人に変装し、家政婦として家に入るのでした…。
「ミセスダウト」はピヨ姐もコツメちゃんも大好きな映画です。今見ても面白いです。
そして1994年も終わっていく…。
10月には大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞したり明るいニュースもありましたが、なんとなく暗い一年だった気がします。
つくば母子殺害事件も印象に残っています。やはり暗い年だったのかもしれません。
コツメの母さん。でした!