コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・社会人)、次女(コツメちゃん・高校1年生)の4人家族です。

平成3年(1991年)の思い出

おはようございます。

 

コツメの母さん。です。

今日は平成3年(1991年)の思い出話を書いていこうと思います。

 

コツメの母さん、初めての一人暮らし

コツメの母さん、この年は一番楽しかった日々だったかもしれません…

なぜならこの短大2年生の4月から一人暮らしをはじめたんです!

 

うれしいうれしい。

1Kですが自分のお城を初めてもったのです。

一年生の時は女子寮に住んでおり、門限などがあったためにバイトが思うようにできなかったのです。

しかも電話もテレビもキッチンも共用だったので、一番テレビを見ていない時代です…。

これからは門限もなく全てが自由!ばんざーーーい!と思いました。

 

1991年1月から東京の電話番号は03のあとに3がついて10桁になりました。

電話も携帯がないので、固定電話をひくんですよ。すごく高かったです。そして秋葉原で買った留守番電話をとりつけたときはうれしかったです。

電話は小さなカセットテープが入っていました(笑)

留守番メッセージがテープに録音されるんですよ。

 

ドラマを見ながら友達と長電話したなあ…。実家にいた時は長電話すると母が怒るのに、一人暮らしは自由ですもんね。

 

コツメの母さんはさっそくアルバイトを始めました。

平日はファミレスの店員さん、週末はチケットぴあの電話受付です。

当時はインターネットなどなかったので、チケットは電話でとったり、最寄りのチケットセンターで買うのが主流でした。

 

朝〜夕方 学校

夕方〜22時 ファミレスでバイト バイトがない日は卒論

 

の日々でした。

 

1991年のテレビ

家に帰ると一人で心ゆくまでテレビを見ていました。

あの頃はドラマが大ブームで、主題歌はのきなみヒットしていました。

 

主な1991年のドラマが

 

東京ラブストーリー

101回目のプロポーズ

逢いたい時にあなたはいない・・・

しゃぼん玉

もう誰も愛さない

学校へ行こう!

パパとなっちゃん

それでも家を買いました

 

などなど…。

 

吉田栄作、織田裕二、江口洋介、加勢大周、東幹久、唐沢寿明、三上博史、風間トオル、たくさんトレンディ俳優とよばれる若手の俳優さんが活躍していました。

 

この辺りからドラマをたくさんみるようになりました。

そしてこの年バブルは崩壊するのですが、まだまだこの頃は世の中はバブル感があったからかテレビもお金がかかっていました。

アジア台風ショー、カルトQ、など深夜番組がめちゃめちゃ充実していたので、コツメの母さんは夜更かしばかりしていました。

あとスターボウリングというボーリング番組も好きで見ていました。

あれを見るとボーリング場へ行きたくなったものです。

 

しかも就職活動も夏前にあっさり決まってしまったので、本当に自由を謳歌しました。

 

ある日、ファミレスのバイトをクローズまで終えた私は、ファミレスから最寄りの井の頭線 浜田山駅まで歩きました。(私は電車でバイト先に通っていたのです)

すると

 

「今、駅に入らないでください!」

 

と言われてしまったのです。どうやらドラマの撮影で一般の人をいれたくなかったらしい…。

でも私は大急ぎで家に帰ってテレビを見たかったのです。なのでその人に

 

「どうしても次の電車に乗りたいんです(大相撲ダイジェストを見たいから)!」

 

と頼み込み、駅に入れてもらうことができました。

自動切符売り場で切符を買う時、私の腕に隣にいた人のスーツの裾があたりました。

そのスーツの色がすごく綺麗な色で、あきらかに仕立てがいいのでちょっとびっくりしながら隣を見ると、加勢大周さん

新・加勢大周じゃないですよ。加勢大周です。

 

「あぁ、学校へ行こう!のロケだったんだ。」

 

と思いました。当時先生役で出演していたのです。お顔立ちが美しくて綺麗な鼻でした。

 

 

横綱千代の富士引退

この年の5月、千代の富士が引退しました。

コツメの母さん、大相撲を見るのが大好きでしたが、なんだか一つの時代が終わった…という感じがしてそれがだんだん相撲から離れていく一因になりました。

コツメの母さんのテンションとは逆に世間は若貴ブームに突入して相撲を見る若い女の子が増えるのでした。

貴乃花の人気はすごかったです。

私は若貴の藤島部屋で活躍していた安芸乃島のファンでした。

 

ひやっとした思い出

バイト帰りにドラマのロケで加勢大周を見たこともあったコツメの母さんでしたが、バイト帰りのひやっとする思い出もあります。

 

その日もクローズまでアルバイトをした私はいつものように電車にのって自分の住んでいるアパートの最寄駅で降りたのです。

23時くらいでしょうか…。

線路沿いの狭くて暗い人通りの少ない歩道を歩いていると、横の狭い道から目の前にぴょんと人がとびだしてきました。

ハッとみると同じ歳くらいの女の子がにこにこしながら立っていたのです。

 

目があうと女の子は私に

 

「これからみんなでビデオを見るんですが、いっしょにきませんか?」

 

と言います。

 

瞬時に

 

『あぁ…あれだ…』

 

と思いました。

あの頃は学生の間でうわさになっていたのです。

 

ビデオをみようって誘われて、ついついて行ったらだめだよ。ずーっと宗教や思想のビデオをみせられて何日も眠らせてもらえないんだよ。

そのうち洗脳されちゃうんだよ。

 

「あ、いそがしいし、明日早いからだめなんです。」

 

というと

 

「そうですかぁ。」

 

とニコニコして引き下がってくれたのでよかったです。

 

あの時代は本当に多かったです。大きな駅には必ずといっていいほどいました。

コツメの父さんも神様を入れられたことがありました。

床屋で髪を切ってもらっていたら背後から

「神様を入れておいたからね。」

と言われたそうです。コツメの父さん、めちゃびびっていました。

 

バブルで浮かれた時代でもありましたが、逆に真面目に悩んだりする人もいたんだと思います。こういう不思議なこと、神秘的なことに惹かれる人も多かった気がします。

 

コツメの母さん。でした!