コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・社会人)、次女(コツメちゃん・高校1年生)の4人家族です。

平成2年(1990年)の思い出

おはようございます。
 
コツメの母さん。です。
 
今日は平成2年の出来事、思い出話を書いていこうと思います。
私のこの年は東京での短大生活になります…。
 
 
 
平成2年からは、個人的に「71年生まれって、どうなの?」と思った時代に入ります。
 
1月13日・14日 第一回大学入試センター試験実施
とうとう受験が始まりました。
今までの共通一次が終わり、この年からセンター試験が始まりました。当時私たちは「新テスト」とよんでいました。
いよいよ受験です。
はっきりと覚えてはいないのですが、私のセンター試験は勉強不足で惨憺たるものでした。
とはいえ、二月の私立短大の試験で私は憧れの東京へ行けることになりました。
 
どうでもよいことといえばよいことなんですが…。
私にとって憧れていた東京での女子大生生活のイメージは、サザンオールスターズの1984年のヒット曲、「ミスブランニュー・デイ」でした。
東京の女子大生はDCブランドに身を包み、表参道のカフェでまったりし、六本木のディスコなんかでゆらゆら踊っちゃったり…
というイメージだったんです。
 
私が読んでいた別冊マーガレットにもくらもちふさこ先生や槇村さとる先生、紡木たく先生、いくえみ綾先生がそんな世界を描いていたもの…(笑)
 
 
でもそれはうそでもなくて、ほんとにあった世界だったのだと思います。
ミスブランニュー・デイの曲が流行った84年あたりは女子大生ブームで、オールナイトフジという人気番組もありました。
ちなみに女子大生ブームの火付け役といえば現クイズ女王の宮崎美子さんや斉藤慶子さんであります。
 
と同時に大学受験ってすごく大変でした。詰め込み教育バリバリ時代ですから、大学生になるって大変だったんです。特に付属校はもちろん、通える範囲に予備校のない田舎は本当に不利でした。ネットもないですしね。
 
ところがです。
 
大学生になったら遊ぶぞーー!とヨコシマな気持ちもちらちらしつつ頑張っていた71年生まれは新テストにぶつかります。
しかも第二次ベビーブームで大学入学は狭き門でした。
そしてそんな困難を乗り越え、やっと大学生になれた時…
 
世間は
 
女子高生ブームに突入したのでした…
 
しかもあんなにがんばったのに就職活動の年にはすでにバブルは崩壊…
 
就職氷河期に入ってしまうのです…
 
なんか大事なところでスカってるような気になってしまう71年生まれ…。ちょっと悔しいです(笑)
 
とはいえ、子供の頃から憧れていた東京に行ける喜び。
高校を卒業した春はドキドキしました。
春休みには上京の支度です。初めてのお化粧品は資生堂のプルミエ。口紅は当時宮沢りえちゃんがCMキャラクターを勤めていた資生堂レシェンテのオランジェを買いました。
 
4月 太陽神戸銀行と三井銀行が合併。太陽神戸三井銀行になりました。
今の住友銀行です。私が上京して学校のお金関係はこの銀行を指定されました。
初めて銀行には都市銀行、地方銀行というものがあると知った私です。
合併した時にラジオでデーモン小暮閣下は
「太陽神戸三井銀行より、たこさん銀行にすればいいのに。」
と言いました。たしかに「たこさん銀行」の方が覚えられやすいなぁと思いました。
のちにさくら銀行になりましたね。
 
女子大生になった私ですが…。
結局地味な女子大生におさまりました。
一番の理由が、そういう性格だったということもあります。
が学校自体が地味だったんです。それに寮生活だったので制限がありました。
最初はインカレサークルにも入ったのですが、なじめず夏前には幽霊部員に。
テニスボール一個打つのになん十分も待たなければいけないことに虚しさを覚えたからでした。
 
世間はまだまだバブルでしたが、コツメの母さん。なじめなかったのです。
 
ただよかったのは学生寮にいたので、友達がたくさんできたことでした。これはよかったです。
寮で地方組と仲良くなり、学校行事の多い学校だったので自宅から通学している子とも仲良くなれました。
バブルのお遊びとはほど遠かったですが、横浜にでかけたり小旅行したり、アルバイトしたりと充実していました。
 
短大の友達の中には早々に慶応の彼をゲットし、週末になると学生寮にBMWで送ってもらっていました。
ドアからおりる友達。車の中からは
 
♪ぴーひゃら ぴーひゃら ぱっぱぱらぱ〜♪
 
とちびまる子ちゃんの「おどるポンポコリン」が大音量で流れてきて、その風景を目の当たりにした時は本当にリアルバブルを感じましたよね…。
 
夏休み
 
コツメの母さん、初めての海外旅行です。
旅行先は中国でした。
 
11月COMPLEX解散。「早っ!」と思いましたが、COMPLEXも嫌いではありませんでしたが、「これで吉川晃司のソロコンサートへ行ける!」と思いました。
 
そんな平成2年でありました…。
 
コツメの母さん。でした!