こんばんは。
コツメの母さん。です。
昨日、HSPのお話を書きましたが、 HSPのコツメの母さんは子供の頃HSC(ハイリーセンシティブチャイルド)だった話を書きたいと思います。
昨日書きながら
「そういえば小さい頃のあれもそうだったのかな。これもそうだったのかな。」
と思うことがじゃんじゃんでてきたのです。
とにかく私は子どもの頃の記憶がかなりあります。
いままでもいろいろ子どもの頃の話を書いてきたのですが、なんで覚えているのかと言うとおそらくある場面に出くわした時に心の中でブツブツ考えていたり、反復していたからだと思うのです。
子どもの頃の自分がいつも考えていたこと。それは
とにかく疲れやすく、いつもだるいなぁと思っていたこと
です。
保育園の時は、
「なんで踊らないといけないんだろう」
と運動会の練習の時に力を抜いてポンポンもって踊っていました。だらしなく上に掲げた黄色いポンポンと保育園の教室の天井の絵が頭のなかにあります。
そしてそういう運動会や発表会にいつも緊張していました。
四月生まれだったこともあり、保育園での発表会ではたいてい主役だったので、私はしっかりした子どもを演じながら役を演じ、演じた後はよく熱をだしていたように思います。
親や先生にしたら私はしっかりしているように見えていただろうけれど、私は本当はとてもとても気にしんぼうでした。
大人からどう見られているのかを小さい頃から気にして、大人のちょっとした意地悪な言動も
「あぁ、意地悪されているんだ」
とわかり、傷つく子どもでした。
先生からちょっと注意されても一日中そのことが気になって、「はやくいいことをして挽回しなくちゃ。」と思っていたのです。
だからよく先生から
「こら!」
と叱られても
「てへ!」
と笑ってやり過ごし、普段どうりに行動しているクラスメートのことを
「どうしたらあんな風にできるんだろう・・・どうして落ち込まないですぐ忘れられるの?」
と羨ましい気持ちと、自分がそれができないことで落ち込んでいました。
忘れられないことがたくさんあるのですがこれはHSCだから?と思うようになったエピソードを書いていきたいと思います。
その1 理科のテスト名前書くの忘れた事件
コツメの母さんが小学校一年生の時です。
ある時、理科のテストがありました。ところがその日たまたま私は消しゴムを忘れてしまったのです。
間違えたらどうしよう…とドキドキしていた私は早速「2」と書くところを「1」と書いてしまったのです。
私はあわてて、1の上を鉛筆でなぞって太い2に書き直したのでした。
数日後…。その理科のテストが返却されたのです。
すると私のテストが返ってきません。
配り終わった後、担任のおばあちゃん先生が、私ともう一人の子を教卓に呼ぶと
「この二枚のテスト、お名前が書いてありませんでした。どちらがどちらのかわかりますか?」
と言って私ともう一人に見せたのです。
先生の右手には太い文字で「2」と書かれた答案用紙がありました。
すぐに
「わたしのこっちです!」
と言って先生の手から取った瞬間、私はドキッとして顔がかぁっとしました。
残りのテストはもう一人の子ので、謎は解決はしたのです。私も友達も席につきました。先生からも特になにもいわれませんでした。
ざわざわしている教室で私はじっとうつむいていました。
私はなんでかぁっとなったのでしょう?
それは先生の持っていた二枚のテスト。
私が太い2と書いてあったので「こっちです。」と言ってもらったテストが90点で残りのテストが30点くらいだったのです。
できるテストとできのよくないテストだったのです。
私は
「先生はコツメのかあちゃんは点数が高いのをすかさずとるような図々しい子だと思ったかもしれない・・・。友達もそう思ったかもしれない。」
と思ったのです。
そう思ったら、恥ずかしくて恥ずかしくて、そのことが頭から離れないで私はずっとドキドキしていました。
今思えばそんなことを先生は思っていなかったと思うのです。
でも私はその日ずっと
自分が先生から卑しい子だと思われていたらどうしよう
と思ってものすごく悩んでいました。
いまだにそのことが忘れられません。
人によってはなんてことない忘れるような出来事かもしれませんが、私にとってものすごく悩んだ一件でした。
その2 駄菓子屋の店主に「それ、お金払った?」と聞かれた事件
これもコツメの母さんが小学校低学年くらいの時の話です。
お稽古の帰りに、お稽古から一番近い駄菓子屋さんに寄ったことがありました。
いつもはあまり行かない駄菓子屋さんです。
駄菓子屋の店主さんはいつものおばちゃんではなく二十代くらいの男の人でした。きっと駄菓子屋兼自宅になっていたのでおばちゃんの息子さんだったのだと思います。
その日は狭い駄菓子屋さんに子供が5,6人いました。
うちの母はお稽古の日は100円玉を一枚よこすのですが、時々200円くれることがあり、その日はなんと200円のラッキーデイでした。
うれしかった私は気を大きくして、100円はいつものように5円、10円、20円くらいのちまちましたお菓子につぎ込むことにして、その前に100円でアイス「ピノ」を買ったのです!
母屋と店の間の段みたいなところに腰をかけた店主のお兄さんに100円を渡し、お店の中でピノを食べる私…。
この後残りの100円を使おうと思っていた矢先に、背後から
「そのアイス、代金もらってるよね?」
と言われたのです。
「え?」
と思ってふりかえると店主のお兄さんが自信なさそうにちょっと笑みを浮かべていました。
私は
「はい。」
とドキドキしながら言いました。一瞬で
『私のこと、泥棒って疑ってるのかな…』
と急に悲しくなってきて、今度は
『本当に払ったっけ?』
と自信がなくなってきたのです。
『確かに200円もってきていたし、今意見を変えて払いますって言ったらうそをついてたってことになるし、”はい”ってすぐに返事しちゃったけど、お兄さん、余計あやしいって思っているかな…』
と考えていたら、ピノを買った自分がうらめしくなってしまったのです。
なんで買っちゃったんだろう…。
もう全然味のしないピノ…。一応すぐには店を出ず、食べてから家に帰った覚えがあります。
以来その店に行くのは怖くなってしまいました。
でも子どもだったら
「ちゃんと払ったよ〜!」
と簡単に言って気にしないんですよね。私は本当に気にする子どもでした。
こういう記憶、たくさんあるんです。
考えすぎな子どもだったのですよね…。
今思えばだからいつも疲れていたのかなぁと思います。
↑これもそうだったのかも…。
こうしてHSPのことを考えていると、HSPの人っていうのは、子育てで悩むことが多いかも…って思いました。
自分自身が怒られないように気をつけ気をつけ生活していても、自分の分身である子どもが外でなにかをして、そのなにかの影響でよその人から言われることも少なくないのです。
そうすると自分が言われたかのようにつらく感じるんです。
そのことで頭がいっぱいになってしまう。
そう思ったら腑に落ちることがたくさんありました。
また思い出話も書いていきたいと思った
コツメの母さん。でした!
ブコメ、ありがとうございました!
共感していただいてうれしかったです。
海外、楽しいだけではありません。周りの人たちも楽しんでいそうに見えて
じつは悩みがあったのかもしれないなぁと思いました。