コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・社会人)、次女(コツメちゃん・高校1年生)の4人家族です。

子どもの誕生日は私が産んだ日でもある。

こんばんは。

 

コツメの母さん。です。

 

ピヨ姐は一月生まれです。だから誕生日とその前日は、出産のことを思い出します。

 

ピヨ姐は予定日から4日遅く生まれました。

私は当初、父さんと私で育てたいという気持ちが強く、里帰り出産は考えていませんでした。

ところがです。

 

本当によくあるパターンなんですが、こういう一大事の時にコツメの父さんがやらかすのです。

いよいよ生まれる最終週に入るよ、という時に父さんは、どうしてもどうしても大事な仕事があって、急遽アメリカへ行かなくてはならなくなったんです。

 

『こ、これはどうしよう…』

 

と思ったのですが、なんとかなると若い私は一人で産む決意をしていました。

ところが実家の母が

「それは無理!お母さんが手伝うよ!」

と言い、保育園の仕事(この頃は保育士さんのパートをしていた)を休んで急遽やってくることになったのです。

 

出産予定日の数日前に母は新幹線でやってきて

 

「更年期障害がはじまっちゃって、汗がだくだくでるんだよね〜!!」

 

と元気な声で言いながら汗をだらだらかいてお風呂掃除をしてくれたり、ご飯を作ってくれたりしていました。

でも出産予定日がきてもうんともすんとも変化がおきません。

1日、2日経ってもなんにもおきません。

母は

「まだかなぁ〜。」

と言い始めました。すると母が休んでいた職場から電話がかかってきたのです。

 

「ごめんなさい。どうしても出てもらいたいお仕事があるので、娘さんには悪いけれど⚪︎日に帰ってきて欲しいんです。」

 

と言われてしまったのです。よほどのことだったのでしょう。

母は○日に帰ることになってしまったのです。

そしてこの日は交代でなんとお義母さんがくることに。

まだそこまで親しい感じではなかったので、緊張しちゃうな…と思ったのですが、その後母が戻ってきたら交代するし…と安心していました。

 

○日の朝、つまり母が一旦実家へ帰る日、母と私は産院へ検診に行きました。先生は

 

「うーん…。まだ生まれそうもないですね。あんまり長いと良くないですから、週明け、月曜日には出しちゃいましょう!」

 

と言ったのです。

 

私は

 

「はい!」

 

と言いました。

その日だったら母はすでに戻ってきて付き添ってもらえる日だったからです。

 

すると先生が、棒の先にしぼんだ風船みたいなものがついている器具の絵をボールペンで書き出し

 

「こういう風船のついた器具を入れて、しゅこしゅこ膨らまします。」

 

と静かにさらりと言いました。

 

『え…げ、原始的…!!めちゃんこ痛そう……!!!痛そうなんですけど!!!』

 

予想外の赤ちゃんの出し方に、ショックをうけたコツメの母さん。

私の顔が青ざめていたのを後で付き添った母も言っていました。

そのくらいショックでした。怖い…。

どきどきしながらアパートに戻るともう実家に帰りたいモードの母は、恐怖と戦っている私に十六茶とパン屋さんで買ったパンをアパートの下で持たせると

 

「じゃあね!ばいばい!」

 

と言ってさっと帰ってしまったのです。すごい速さ…!!!

 

「なんだか疲れた…」

 

私はベッドにころんと横になりました。

すると20分もしないうちにピンポンが鳴り、お義母さんがきてしまったのです。

よろよろ出て、なんとなくだるかったのですが緊張しているのでぴしっと話をしたりしていました。

 

ところが…

 

突然猛烈な吐き気が襲ってきたのです。

私はこそっとトイレに行って吐いてしまいました。

それでもすっきりしません。

お腹も痛いのです。

食中毒になったような痛さだったのですが、お義母さんに言えなくて、何度も何度もトイレに行っていました。

 

そのうちお義母さんも顔が真っ青でトイレばかりいっている嫁の異常行動に気がついて、とうとう私は夜の9時頃、真実をゲロリました。

 

「昼間からずっと何度も吐いて、腹痛もすごいです。でも陣痛ではないです。」

 

と。

 

お義母さんは産院へ電話をして「正露丸を飲んで良いか」聞いてくれました。

「大丈夫だって。」とお義母さん。

私は正露丸を飲みました。

するとかなり痛みがおさまってきたのです。

 

「だいぶすっきりしてきました。」

 

というとホッとしたようでした。

ところがです…。

さっき痛かったお腹のもっと下の部分が、ちいさくちいさくビートを刻み出しました。

小太鼓くらいの微弱なズンドコが始まったのです…。

 

「もしや…こ、これは…」

 

と思い、今度はすぐにお義母さんに

 

「すいません。違う腹痛が始まったみたい…。」

 

と言いました。

その小太鼓ズンドコは中太鼓、大太鼓になって行き、翌日の朝方病院の車にきてもらってお義母さんと私は病院へ運ばれたのでした。

その時いつも静かなお母さんがじっとりとした声で

 

「今がんばらなくていつがんばる…」

 

と私に言いました。

そして車を待っている時、超痛い陣痛がやってきたので、道路の縁石に手をつくと

潔癖症のお義母さんは

「大丈夫?」

よりも

「コツメの母さん、そんなとこに手をついたら手が汚れちゃう。」

と言いました。

ちょっと笑いそうになりました。

 

朝病院につくと、新聞を読んでるおじいちゃん院長先生が

 

「下剤でちゃんとだしてからっぽにしてね。」

 

と新聞から顔半分だして私に言いました。

 

「もうお腹のなか空っぽなのに…」

 

と思いながらトイレに駆け込んだのを覚えています。

 

私の陣痛が始まった時、父さんはアメリカの空港にいてちょうど出国したあたりの時間帯で連絡がつきませんでした。

そしてアメリカから日本に帰るまでの間がちょうど私の陣痛。

ピヨ姐が生まれて処置が終わり、やっと個室に運ばれた時に携帯が鳴りました。

 

「もしもし〜。いま成田に着いたよ〜。」

 

と何もしらない父さん。

 

「…今さっき、生まれちゃったんですけど。」

 

というと

 

「えぇーーーー生まれちゃったのぉ????(笑)」

 

と言いました。

その携帯をお義母さんはうばうと

 

「あのね!まずアパートに戻って!病院にはこなくていいから!」

 

と言い、父さんが我が子を見にきたのは面会終了の五分前でした。

どうしても早く赤ちゃんに会いたい感じがないのを察知した私は、以来、父さんを恨み出すのでした…。

 

結局陣痛が始まる前におきたあの吐き気は看護師さんがいうにはたまにあるのだそうです。

おそらく、初めての出産のため、陣痛を促す何かが分泌され始めると、体の中で

『今までにない異物が体に入ってきたから出さなくちゃ』と反応して嘔吐下痢になってしまうんだそうです。

 

数年後、コツメを産んだ時は確かに陣痛だけでした。

 

そしてあれ以来、私は十六茶みたいなブレンド茶が苦手になってしまいました。

 

ピヨ姐を産んだ思い出です。

 

コツメの母さん。でした。