こんばんは。
コツメの母さん。です。
これでラストになるかな…。
思いがけず長くなってしまいました!すみません。
さて、東京へ行くことをしぶしぶ了解してもらったコツメの母さんは、大きな関門を突破したような気持ちでいっぱいでした。
勝訴までは行きませんが、示談が成立したからです。
あとは勉強です…。
美術以外で好きなこと。本を読むことと、国語は嫌いではないなぁと思いました。
テストは良くありませんでしたが、時々人並みにとれるのは国語だったのです。
そう言うわけで、文学部や国文科を選びました。
それから新テストも受けることになりました。国立を受けるって約束していたので…。
そう。新テストとはいまのセンター試験のことです。
コツメの母さん、父さんは、新テスト(センター試験)一期生なのです。
新テストを受けに〇〇高校へ言ったことは覚えていますが、全くあとのことは記憶にないですし、何点取ったかも記憶にありません。
とりあえず全くもってできなかったと思います。
というか、短大もあやしいくらいでした。
そして私は案の定落ちまくり、最後の最後一校だけ短大に合格できたのでした。
国立も足きりがなかったのでしょう。
教育学部の美術の先生になれる学科を受けました。もう全然絵も描いてなかったし、センターの点数もよくなかったので当然不合格でした。
ただ絵を描いているときは緊張しました。恥ずかしい気持ちで描いた覚えがあります。
受験も終わり、学校へ行って美大志望の友人(X JAPANのYOSHIKI似の女子)も美大の短大に合格したことを知りました。
美大受験の塾もなければやりかたもあまりわからない田舎でしたが、「美術大学へ進学できるんだ」、と思ったのと「いいなぁ」という気持ちがありました。
彼女は彫刻など立体が得意だったので、短大を卒業してからはヨーロッパに彫金の勉強をしに行ってしまいました。
中途半端な受験を終えた私に予想外の気持ちの変化がありました。
「合格した」というよりも「拾ってもらえた」と思ったのです。
一番したかったことではないけれど、せっかく受かったのだから
「ちゃんと勉強しよう。」
と思ったのです。
短大へ入った私は女子寮に入りました。みんな地方から来た子たちばかりです。
同じ部屋に新潟の長岡の子がいました。
新潟の子は聞き上手な子で、微笑みをたたえながら
「そいが〜(そうなんだ)。そいが〜(そうなんだ)。」
と話をよく聞いてくれました。そして笹に包まれた団子を私にくれました。
私はうなぎパイをあげました。
そんなわけで初めての東京では寮のおかげですぐに友達ができ、入学式へみんなでいきました。友達作りの心配は乗り遅れることが自然に回避されたのです。
帰りに
「109にいってみない?」
と行って109のレストラン街でご飯を食べたのを覚えています。
ハチ公前からスクランブル交差点を見ると向かいのビルのうえにあった大型テレビに大好きだったCOMPLEXの1990という曲のMVが流れていてすごくうれしかったです。
GWは北海道の子と茨城の子と日帰りで中華街へ行きました。
受験がないからかもしれませんが、進学校の女子校で緊張の毎日を送っていた私は、このほのぼのした短大とほのぼのした友人にかこまれてなんだか癒されたような気持ちになったのです。
いつしか私はなすがままにの LET IT BE人間になっていました。
卒業してすんなり就職。
だけど、就職先が辛かった!
そんなときやっぱり絵を描きたくなりました。
いつしかお金を貯めて美術の専門学校に入りたいと思うようになったのですが…。
24,5歳という今だったら全然若いはずなのに、勇気がなかったのですよね。
もう遅いんじゃないかなというあきらめの気持ちがあって、結局行けませんでした。
進学先を決める時点でもそうですが、結局自分には情熱が足りなかったのだと思います。
後悔はありますが、すごい後悔ではありません。
ただ、専業主婦になった今思うのは、美術や音楽系は就職に不利だからとか、なんの役にたつのかと言う人もいるけれど、でもやっぱり自分のやりたいことをやったほうがよかったのではないかということです。
もしあのとき美大に行っていたら、ちょっとでも美術に関わる仕事をしていたかもしれないし、生活できるだけの収入は無理かもしれませんが、主婦になっても何かできたかもしれないなぁと思うのです。
あ!今思い出しました。
絵で役立ったこと。三年前に保育士の資格の実技試験で絵が役に立ちました。
そんなわけで私は自分にもし子供ができて勉強したいことがあったら反対しないぞと思ったのでした。
以上、受験の思い出です。
そして結婚してからわかったのですが…。
母が美大を反対した理由です。
母は私の進路を反対したことなんて覚えていないと思います。
なのでなにかの世間話で母が話したのでした。
昔々の話なのですが、私が小さかったかまだ生まれていなかった頃のことです。
母の知り合いの娘さんが美大に進学したのですが、校内で事件に巻き込まれたそうです。そのことで母の知り合いは娘さんの心のケアで大変苦労したようです。
母もその頃とても若かったのでその話がとてもショックだったのだと思います。
そのことで母にとって美大はものすごい悪いイメージがあったようでした。
私はその話を聞きながら
「もしや…あんなに理由も曖昧なまま頑なに反対したのはそのことがあったから…?」
と気がつきました。
本当に大変なことではあったのけれど、美大のイメージはそれが全てではないのになぁと心のなかでちょっとがっかりしたのですが、何も言えなかったです。
長々とありがとうございました。
コツメの母さん。でした!