おはようございます。
コツメの母さん。です。
それでは昨晩の続きを書いて行きたいと思います。
高校時代のコツメの母さん。成績はすこぶる悪く落ちこぼれではありますが、心の中でずっと
「このままではいけない…」
とドキドキしながら過ごしていました。
それなのにもうどこから始めて良いかもわからない。
辛いことからすぐ逃げる怠惰な性格。
自分では分かっているけれどどうしようもない。
親も私の現況を知らず、放っていたので私に誰も口うるさく言う人はいない状態。
そのままだらだらと3年生になってしまいました。
でも大好きだった絵の勉強をしたい気持ちがあり、美大へ行きたいという希望はありました。
記憶が曖昧なのですが、高校生のとき、一人で東京へ行って美大を歩きました。
今みたいに見学会があったりしなかったし、ふらりと勝手に構内に入れたんですよね。
一番素敵だなぁとおもったのは武蔵野美術大学でした。
ところが3年の夏になって母に突如大反対されたのでした。
とにかく
美大はダメ
の一点張りの母でした。そして地元の国立大へ行けというのは
東京もダメ
ということです。
ダブルでダメ
ということなんです。
私の希望は全て否定されてしまったのです。
私は第一子の長女でした。
以前も書きましたが、両親が自立支援養護施設で親元で暮らせない子供達の親代わりの仕事をしていたため、私は幼い頃から後回しの人生でした。
両親は一生懸命仕事をしているんだ、それにドア一つ挟んで暮らしている子たちは、大変な目に遭ってきた子供達なんだと言うことを知っていたので、自分のことは後回しなのは当たり前のことでした。
だから小さい頃から
あきらめる
ことに慣れていました。
やりたいと思ったこともすべて、
「両親は忙しいのだから」
「お金がかかることだから」
「施設の子たちの方に行かなくちゃいけないから」
と自分の中で理由をつけて飲み込む…
これにずっと慣れていました。
例えば修学旅行へ行った時。
たまには父と母と弟といっしょに食べたいなぁと思って買ったお菓子を、母に
「これ、おみや…」
と言い終わらないうちに母が大きな声で
「わぁ!ありがと!これ、あの子たち(施設で預かっている子)にあげていいっ?すっごく喜ぶから!!コツメ母ちゃんが買って来てくれたんだよ〜って言ったらきっと喜ぶなぁ。」
とバッと両手からお菓子の箱を受け取ったのです。
『え・・・』と思ったけれど
「これは家族で食べたいから買ってきたんだよ!たまには家族だけで食べたかったんだよ。」
が言えないんです。
すごく悲しい気持ちがじわっときたのですが、反射的に
「うん。」
と言ってしまう。
だって「いやだ」と言ったら自分がなんてわがままな自分のことしか考えていないひどい人間だと自分が思ってしまうからです。
いいことだからと変換して、いいことしたということにして飲み込んでしまう。
大学のことだって、「お金を出してくれるのは親だから…」と頭の中でいい子の理由が自動的に作動します。
だけど、それを上回るくらい悲しさがこみ上げてきて、母になぜ美大がダメなのかという理由を聞いたのです。
でも明確な理由が出てきませんでした。
とにかくダメの一点張りだったのです。
(それは数十年後、母が世間話のような感じで言った言葉でわかることになります。それはまたのちほど。)
次は地元の国立問題です。
理由を聞いてみると、
「四年間行くのだから私立だとお金がかかるし…」
みたいなことを母は言いました。
そちらも美大反対理由よりはリアルですが、なんかふわふわしています。
私は自分の家はお金持ちではないけれど、経済的に私立大学はとても行かせらせないという状況ではないことも分かっていました。
だけど、お金がないのだと言ってる母のことを信じた風に思うことにしたのです。
最終的に私が言ったのは
「美大は行かないけど、東京には絶対に行きたいです。学力的にきっと無理だけど、東京の国立は受けます。私立の四年制がお金が理由で反対なら、私立は短大だけ受けます。これなら2年間だけになって国立大学の4年間と同じくらいのお金になるはずだから。」
とお願いしました。
母も納得せざる得ませんでした。
しぶしぶ了解をもらえたのです。
あぁ…
予想外に長くなってしまいました。
うざくてごめんなさい。
続きます!
コツメの母さん。でした!