こんにちは。
コツメの母さん。です。
いよいよ
「マイノリティー親子の中学受験・私立一貫校の備忘録」
を書いていきたいと思います。
もう一度ここで注意ですが、このカテゴリーは中学受験に関することではありますが、全くあてはまりません。
偏差値30から難関校に受かりました。
とか
合格までの道のり。
とか
中高一貫校での(大変だったけれど充実した)生活。
の話ではありません。
このブログを書いて行くうちに今まさに中学受験に挑戦している方や、受験を終了して合格した学校に通わせているお母さん読者のみなさんは
「そんなことを知らずにやっていたの?」
と思うことでしょう。
そうです。私は9年経ってやっと分かったことがたくさんありました。
いまだにわからなくて、これからも知ることがあるでしょう。
そんなわけで恥ずかしいところもありますが、それでいいと思います。
多分とてもめずらしいパターンなので、
「こんな形もあるんだ…」
と思っていただければと( ´ ▽ ` )
そしてたまーにですが、少しは役に立てるかな?という普通な感じのお話も書いていきたいと思います。
そしてこちらに書く内容は全て長女にことわっております。
では
no.1の今日は9年間の軌跡をざっくり書いていこうと思います。
小学3年生2月
中学受験塾SAPIXにて中学受験の勉強を始める
小学6年生4月頃
なんやかんやとやってきましたが、あまりのハードシュケジュールに「このまま勉強しても勉強が嫌いになるだけだ!」と思い、中学受験をやめるつもりでSAPIXを退室
小学6年生5月頃 やめて1ヶ月後、「やっぱり受験したい。」といわれ話し合った末、中学受験を再開。日能研に入塾。
小学6年生2月頃 受験 第1志望 第2志望校合格 受験がおわる。
合格した学校はレベル的にざっくりですが両校とも御三家ではない学校で、首都圏模試の偏差値表で60台のどこかです。
小学校卒業 6年の後半は友人関係のトラブルからクラス内で疎外されるようになり、卒業式には出席したものの、クラスの謝恩会は「絶対に行かない」と言い1人だけ欠席。
中学1年生〜中学卒業
6年生の辛いことから解放されて新生活がスタートしたかに思ったけれど…。
燃え尽きたのかだんだん勉強をしなくなり、中1の終わりには学校の勉強についていけなくなり、生活も不規則に。
母娘の関係最悪になりました。
長い長い静かなる反抗期。学校には通えていました。
あっという間に中学の3年間が終わる。高校にあがる。
高校1年生〜高校卒業
成績は振るわない上に生活態度も無気力が続いたのですが、高校1年生の時に人生で初めて「がんばらなければいけない。」という体験をする。そして大きな苦労したことで内面が少し前向きに変わる。
その矢先、高校2年生のGW後から体調を崩す。
なかなか良くならないままではありましたが、
学校の尽力もあり、卒業。
以上、9年間をざっと書き出しました。
この9年間、ずっとずっと心配が続き今に至ります。
心配の内容は変わっていきますが長いようで短い、9年、そして今です。
このように書き出すことで読んでくださっている皆さんは
「なぜ中学受験を始めたんだろう?」
「なぜSAPIXに入ったのだろう?」
「どうしていったん受験をやめたんだろう?」
「受験を再開して転塾した経緯ってどんなだろう?」
「学校生活で何があったんだろう?」
「どんな学校なんだろう?」
「学校の尽力とは?」
などなどクエスチョンが浮かぶでしょうか…。
書けないところもありますが、そういうこともこれから順々に書いていきたいと思います。
コツメの母さん。でした!