こんにちは。
コツメの母さん。です。
昨日コツメちゃんが言いました。
「あのね、Aくんがね、いつも学校のプールを休んで見学してるの。だからこっそり
”なんでプールに入らないの?”って聞いたらAくんね、”体調が悪いからプールに入れませんって理由にしているんだけど本当はプールのシャワーが冷たくていやだから入らない”んだって。」
私は
「ふぅん。そうなんだー。」
と言いました。
Aくんは女子から人気の元気でさわやかなイケメンです。
でもシャワーがちょっと苦手だったんだ、かっこいいのにかわいいなぁと思いました。
コツメの小学校はプールのカードがあり、プールの授業の日は親が当日朝の体温などを書き込み、「本日プールに入る・入らない」に丸をつけ、印鑑を押して提出しなければプールに入ることはできません。
事故の防止が目的なのだと思います。
なので親御さんが「入れないでください。」と望めばそれが絶対になるので本当の理由はどうであれ、子供がプールに入りたくなくて親がそれでOKならば入らなくて大丈夫なわけです。
先生も親御さんからgoがでなかったら本人が元気でも何も言いません。
数年前の我が家の一人目であるピヨ姐を絶賛子育て中だった時の私だったら、
シャワーが冷たいからいや、なんて
「え、ちょっと信じられない。そんなの許しちゃうんだ。甘いなあ。」
って思っていたし、自分の子どもが
「プールに入るのが嫌だから休みたい。」
と言っても聞く耳持たなかったと思います。
でも…。
プールに入りたくないから休みたいという子供のいうことを聞いてあげて休ませてあげるお母さん、私の周りには結構いるのです。
最初当事者のお母さんから聞いた時は驚きました。
その時は
『自分の子どもがそんなこと言って来たら、”授業でしょ!参加するのが当たり前なんだよ”と言って聞き入れないのに、全然怒りもしないで許せるんだ。』
と心の中でびっくりしたのです。
私にはそんな子供の嫌だという気持ちをおもんばかる考えや余裕や優しさはなかったのです。
私の価値観は
「いやだな」「苦手だな」と思ったことでも最初から逃げずにやってみることの大切さを教えてくれるところが学校!だったのです。
とりあえず挑戦してみて、苦手なものが好きになったり、「あ、やっぱり苦手だ。私にこれは向いてない」と気づける機会を与えてくれる場所が学校だと思っていたのです。
だから与えられたことはとにかくやってみること、それが当たり前だと思っていたのです。
でもね、私の価値観は間違ってもいないと思うのですが、今の時代と私の価値観がピッタンコかといったらそうでもなかったんだねって話なんです。
そもそもコツメちゃんの行ってる小学校には
「苦手なことにもあえてやってみよう!」「今年中に全員泳げるようになろう!」
なんて熱血指導はありません。
私の時代だったらシャワーが冷たいから休んでいるなんて友達にさえ言えませんでした。
平手打ち上等!の鬼のような先生のドン引き熱血指導が横行し、そんな恐怖政治の中でみな平等、先生のビンタも平等、の生活を送る児童たちですから。
親はどんな先生に対しても先生にはリスペクトの時代ですから教師の暴力が問題になんてなりません。
そんな時代にシャワーが冷たくて云々、なんて言ったらクラス中から「ずるー!ずるー!」と言われ白い目で見られ、先生に告げ口されて、叱られ、軽蔑されるのがおちでした。
でも今は友達に「実は…」と言えちゃう時代、言われたコツメちゃんも「ズルしてる!」「悪いことしてる!」なんて怒ったりしない時代なのです。
先生もそれを告げ口されても親御さんから休ませますと言われてるから、返って困るという時代なのです。
どちらの時代も一長一短ありますが、私はピヨ姐には思いっきり自分の価値観をぶつけてしまっていました。
今、体調が悪くてピヨ姐が普通に通えるところに通えないの理由の何%かに私の価値観の押し付けがあったのだと思います。
今になって振り返ると、もしピヨ姐が
「シャワーが冷たいからプールを休みたい」
と言ったとしたら「いいよ」と言ってあげた方がよかったタイプだったのかもしれないと思うのこともあるのです。
ピヨ姐の気持ちを汲んであげて、ピヨ姐の為に学校や他者にうそをついてあげる優しいお母さんになってあげた方がよかったのかもしれないと思う時もあります。
実際、私の周りのお母さんにはそういう人が多いです。
だけどあの頃の私にはできなかったのです。むしろそれは「いけないこと」だと思っていたのです。
そしてようやく理解できた今でも頭ではわかっていてもうまくできない自分がいます。
辛いことを避けて通ってうまくいったとしても、いつか避けられない辛さがやって来ると思っているからです。
辛かったら逃げるんだよ
もあっているけど、
辛かったらそれに立ち向かわなくちゃいけない
もあってると思うのです。
そのバランスがうまくとれなかった結果が今のピヨ姐なのかもしれません。
うまく書けないけれど、最近そんなことをもやもや考えてしまっている
コツメの母さん。でした。