今週のお題「おとうさん」
こんばんは。
コツメの母さん。です。
今週のお題は「おとうさん」ということで、10年前の6月に亡くなった父のことを書こうと思います。
先日も父のことを書きました。
お酒がないと物静かで気の弱い父でした。
おそらく今でいうコミュ障だったのだと思います。
いつも外交関係は明るい母の仕事でした。
そんな父ですが、時々思いがけずやらかしてしまうことがありました。
今日はその1つを書こうと思います。
それは今から20年ちょっと前のことです。
私はコツメの父さんと結婚することになりました。
実家で簡単な結納をし、両家とも静岡ですがコツメの父さんが東京の会社に勤めているということで、結婚式は東京方面で挙げることになったのです。
式場探しや新居探しなど、「さぁこれから忙しくなるぞ」、という時です。
コツメの父さんには横浜に住んでいる叔母さん家族がいました。
心配性のコツメの父さんの母(私からいうと義理の母ですね。)は、何かあったら自分の妹夫婦を頼ってほしいと思ったのでしょう。
住むところも結婚式もなんとなく叔母さんの生活圏中心に話が進んでいったのです。
以来だんだんと大事な話にも叔母さんたちが入っており、私はあまり本心をぶっちゃけて言えない状況だったけれど、いろいろと手伝ってもらったり、親切にしてもらっていました。
そしてある日、うちの父と母が結婚の準備のことで横浜にやってくることになりました。
その時、横浜に住んでいる叔父さんが車を出して迎えに来てくれたのです。
叔父さんの運転で私と父と母が乗せてもらいました。
会ったばかりの叔父さんと私の家族はほとんど会話ももりあがらず、どことなくいずらい空気が漂っていたのを覚えています。
車は駅から叔父さん叔母さん夫婦の家方面へ順調に向かっていました。
緊張感のただよう沈黙の中、横浜町田インター付近を走っていたその時です。
普段から静かでコミュ障の父がこれからお世話になる花嫁の父としてがんばろうと思ったのでしょう。
運転をする叔父さんに自分から話しかけたのです。
車窓から見えた外観が豪華客船の形をした「クィーンエリザベス」と書かれたラブホテルを見て、
父「ここは、海に近いのですか?」
(父以外の)全員「…!!!」
父には…。父だけは本物の船に見えていたのです。
ホテルの周りにも建物はたくさんあったのに、緊張していた父には船しか見えておらず、その周りは想像の海だったでしょう。
一瞬車内は凍りつきました。
でもスマートな叔父さんは表情を変えずにさりげなく、中学校一年生の英語の和訳のような日本語で
「いいえ。あれはちがいます。」
と答えました。
「もう、やだー。お父さんったら!」
と笑いあえるくらいの親しさではまだなかったため、みんな気まずい感じで同じことを胸のうちで考えていたようでした。
用事をすませ、叔父叔母の家を離れ、身内だけになった時に初めて大笑いしました。
以来、父が生きている時も亡くなってからも時々
「あの質問の時は焦ったよね。わはははは。」
と思い出しては母と笑っています。
そして今も横浜町田ICを通る時、あの船のホテルが見える度に父を思い出すのです。
父は亡くなり、いつのまにかホテルの名前はホテルクイーンエリザベスからホテルキューシーストークに変わってしまったし、船の色も塗り直して変わってしまったけれど、その外観の船の形はそのままです。
まさかラブホテルが父を思い出してはにんまりする大切な場所になるとは思いませんでした。
こんな風に亡くなった父親への思いを馳せながら見ている人間がいることを船のホテルは知らないでしょうね。
夜になるとその船はキラキラと輝いています。
コツメの母さん。でした!