コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・社会人)、次女(コツメちゃん・高校1年生)の4人家族です。

【1988年】しょっぱなから事件の修学旅行【17歳】

今週のお題「修学旅行の思い出」

 

こんばんは。

コツメの母さん。です。

初めて今週のお題を書いてみることにしました。

 

修学旅行の思い出。

もう30年前の話です。

 

私は静岡県のとある女子校に通っていました。

修学旅行は高校二年生の時で行き先は福岡と長崎。

1日目は新幹線でまず福岡に向かいました。

 

博多駅に着くと次は大型のマイクロバスに乗りかえて観光地へ移動です。

私の高校はクラスが11クラスあったのでおそらく数台で動きました。バスには女性のガイドさんがいて、いろいろ案内することになっていました。

 

福岡のどこへ行ったのか忘れてしまったのですが、とにかく一番最初の観光地で事件がおきました。

 

いなかのあぜ道のようなところにバスを駐車することになったようで、まずバスガイドさんが一人バスから降りて、車体の横から運転手さんに合図してバスをバックさせていました。

私は車窓から何気なくその様子を眺めていました。

両手を揺らしながら後ろ歩きでバスを誘導するガイドさん。

ふとみるとガイドさんの背中の方から自転車に乗ったおじさんが近づいてきました。

 

髪はなく、赤ら顔で白い半袖のシャツに下はステテコみたいな感じ。

なんとなく「やばそうな人」だと思いました。

自転車もふらふらしていたのですが、ガイドさんは後ろを向いていたので気がつかず、ぶつかってしまったのです。

 

そのやばそうなおじさんは怒り狂い、ガイドさんの顔を殴ったのです。

そしてあぜ道で土下座するような体勢になったガイドさんに暴言と暴力…。

多分、泥酔状態で自転車に乗っていたのだと思います。

とにかく私たちはバスから動けなくてその恐ろしい様子を見ていることしかできませんでした。

 

おばさんとなった今なら、おばさん修学旅行みたいなものがあったら

 

「ちょっとなにやってるの!?運転手さん、大変大変!!!警察!!!警察呼んでー!」

 

と言えるのに、高校生の私たちはとにかくバスに座ったまま呆然…。

そのあとどうなったのか覚えていないのです。(確か自転車に乗った警察官が来た気がします。)

でも観光は予定通り行われたのでした。

 

友達とグループで歩いていた時、

殴られたガイドさんが、観光地の石の階段のところに腰掛けて、隣には他クラスの担当の同僚のガイドさんが寄り添っていたのを見ました。

同僚の方に何か言われたのでしょう。

私のクラスの殴られたガイドさんは顔の殴られた部分をハンカチでおさえながら

 

「…うん。がんばる。」

 

と言ったのが聞こえました。

 

大丈夫かな、でも私たちに気を使われたらいやかもしれないなぁと思い、なにも言えませんでした。

 

修学旅行福岡編はガイドさんが殴られたことと、太宰府天満宮へ行ったことしか記憶がないです。

 

そして次は長崎編です。

こちらは福岡よりも記憶が残っています。

原爆資料館へ行ったあと、後半は自由行動でした。私は仲の良い友達と路面電車で移動です。

カステラを買ったり、びいどろを買ったり。眼鏡橋で写真を撮ったりしました。

 

そして友達と路面電車に乗っていた時のことです。

車内が若干混んでいたので私たちははつり革につかまって立っていました。

次で降りようと思っていた時、突然ブレーキがかかってよろけてしまったのです。

毎日ぎゅうぎゅう詰めのバス通学で慣れていた17歳ですから、立派な足で持ちこたえたのにとなりの若い男性が私の背中に覆いかぶさってきたのです。

 

「えぇー。」

 

と恥ずかしさもあって変な声を出してしまった私。すぐに電車から降りたのですが、その男性も降りたのです。

するとその人、私に

 

「本当にごめんね。ごめんなさい。」

 

と何度も謝ってきたのでした。

ちょっと恥ずかしかったのですがちらっとみるとメガネでシャツにズボンの大学生風の地味で真面目そうな人でした。

でもなぜか綺麗なスタイルのいい女性が二人くらいいたのです。そこだけがちょっと不自然でした・・・。

 

「いいよいいよっ!」

 

と私はどこから目線なのかぶっきらぼうにいいました。

 

男性は「ごめんね。」というとそのスタイルの良い女性たちと横並びで去っていったのでした。

 

すると私の友達の○ちゃんがぼんやりとその男性の後ろ姿を見ているのです。

 

「あれ?どうしたのかな。○ちゃん、好みの男性だったのかな。」

 

と思っていると、いつも静かな○ちゃんが

 

「あの人、大江千里…。」

 

とつぶやきました。

 

彼女は大江千里さんのファンだったのです。

 

お若い読者の方は大江千里さんをご存知ないかもしれませんが、大江千里さんとは1980年代後半くらいから活躍していたシンガーソングライターさんです。

いろいろなアーティストさんに楽曲も提供していました。

有名どころだと光Genjiの「太陽がいっぱい」を作詞作曲されています。

今でいうと星野源さんに感じが似ているかな、と思います。

 

 

コツメの母さん、首から下ばっかり見ていたけど確かに大江千里さんでした。

 

「ほんとだ。大江千里だ!」

 

なんでこの方は綺麗どころを連れているんだろうと思ったけれどその日の夜長崎でコンサートがあり、きれいな女性はきっとコーラスやダンサーさんだったのだろうと思います。

 

いろいろなことがあった修学旅行でした。

翌年は辛い受験シーズンへ突入です…。

 

高校2年生の初夏、渡辺美里さんが「ribbon」というアルバムを発表しました。

センチメンタルカンガルー、恋したっていいじゃない、など爽やかで明るい曲で始まるこのアルバムの最後の曲が「10years」でした。

作詞は渡辺美里、作曲は大江千里です。

この歌詞が、受験生の私にはずぅんとくる歌詞でした。

当時勉強が全然わからなくて不安だった自分の背中を押すような。

今でもある意味重い曲です。

 

10年がどんどん早くなってるコツメの母さん。の修学旅行の思い出でした!

 


渡辺美里 - 10 years