コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・社会人)、次女(コツメちゃん・高校1年生)の4人家族です。

卒業式の思い出

こんばんは!

コツメの母さん。です。

 

卒業シーズンですね。

私の高校時代は不完全燃焼の三年間でした。

 

勉強も頑張らず。

部活はたんたんと。

勉強をがんばらななかったのに、遊びも充実せず。

本当に中途半端な三年でした。

 

卒業式の日は雨が降っていました。

いつもと同じ満員のバスに私はのっていました。

するととあるバス停でドアが開き、男の子が乗って来ました。

 

コツメの父さんでした。

 

コツメの父さんとは中学校の同級生でした。

 

一時期は仲がよく、たくさん話もしたのですが、とある事件がおきたことがきっかけで口もきかなくなりました。

とある事件のことは今でも許していません。

夫婦喧嘩のたびにだしています。

コツメの父さんは

 

「悪かったっていってるじゃぁーんw」

 

というけど、私は浅香光代ばりに

 

「あたしゃ 許さないよ!!」

 

と思っているし、言っています。

 

取り乱しました。

話を元に戻します。

 

父さんと私は、別々の高校に進学しましたが学校はとても近くでした。

でも三年間バスで居合わせるなんてことも一度もありませんでした。

あとで聞いたのですが、父さんはいつもは天気が悪くても歩きか自転車だったのでバスに乗ったこと自体めずらしかったようなのです。

 

バスで隣り合わせになってしまい、

 

「あ。」

 

と言って、喧嘩した以来初めて話しました。

父さんが

 

「大学、決まったのかな?」

 

と聞いて来たので

 

「東京の短大にいくんだ。」

 

と私は答えました。

 

「僕は決まってないんだよ。私立大学はひとつ合格したんだけど、そこは辞退して、今日もう一校の私立の合格通知が届くはずなんだ。きっと卒業式の間に家でおばあちゃんがうけとってるはず。だから決まってないの。ははは。」

 

と父さんは言いました。

 

「ふうん。」

 

と私は言って、同じバス停で降りました。傘を持っていなかった私を傘に入れてくれたので

 

『けんかをしたことを覚えていないのだろうか・・・』

 

と思いながら分かれ道で

 

「ありがとう。」

 

と言って別れました。

そこからコツメの父さんも東京の大学に進学したと聞いて、共通の友達を介し、東京でまた再会したのでした。

 

卒業式の日になんか人生を決めるようなことが起きたのかなぁと思います。

 

卒業式の帰りに、いつもいっしょに帰っていたXJAPANのYOSHIKI様に似たSちゃん(女性。女子校ですから。)と美容院に寄り道してパーマをかけてもらいました。

元ヤンぽい感じの今でいうギャルっぽい美容師さんだったのでいやな予感がしましたが、予想通り両脇がぐりんぐりんした聖子ちゃんカットとみぽりんのハザマみたいな仕上がりになって後悔しました。

 

それが私の卒業式でした。

 

コツメの母さん。でした!