こんにちは!
コツメの母さん。です。
私は中学、高校、短大、社会人生活の間、長きにわたり大好きなアイドルがいました。
吉川晃司さんです(*゚∀゚*)
初めて見たのが中学校に上がる前、「ザ ベストテン」のスポットライトという「ベスト10には入ってないけれどこれから注目の曲ですよ〜その方にきていただいて歌っていただきますよ〜」というコーナーです。
そこに現れたピンクのスーツに白いスニーカー、今までのアイドルにいたであろうか、目が細めのキリッとした顔、肩幅!肩幅!肩幅!
そしてモニカ。シメの片手でバク転。
歌い終わった時に思わずためいきまじりに
「かっこいい…」
と呟いてしまい、私は家族に笑われたのです。
このときめきは北の湖、沢田研二以来でした。
それがこれです。
こんな動画を見られるなんて本当にうれしいです。当時ビデオデッキなんて我が家にはなかったですから。すごいなぁ。
人気絶頂期は 吉川晃司=不良 みたいなイメージだったのに、今見たら受け答えもきちんとしているし、歌い終わった後でなぜか謝罪してるし、おばさんになってから見ると
「めちゃめちゃ好青年じゃないですか・・・」
とにかく大好きだった吉川晃司。
ところが私は中学校一年生から学習塾に通いだすのです。その学習塾が月木という、ザ・トップテンとザ・ベストテンが放送されている日だったので全然歌番組を見ることができなかったのです。
水曜日の夜のヒットスタジオもたまにしか見せてもらえなかったのでラジオで曲を聴いたり、録音して聴くくらいでした。
そしてとうとう好き大爆発の日がやってきます。
それは映画「劇場版タッチ」を友達と観に行った日のことです。
タッチの同時上映が吉川晃司が主演を務める、「民川裕司三部作」の3作目、「Take it easy」だったのでした。
吉川晃司は渡辺プロが大型新人として映画の主演とシングル発売でデビューしました。
当時渡辺プロは新人がブレイクしておらず、吉川晃司に社運をかけていました。
一作目が「すかんぴんウォーク」
二作目が「ユー・ガッタ・チャンス」
三作目が「Take it easy」
で、全部主人公が吉川晃司演じる民川裕司という歌手なのです。
「Take it easy」で、吉川晃司の黒いコート姿が、バイクにのる姿が、最後に北海道で死んだ民川裕司が吉川晃司に生まれ変わり、テーマ曲の「Modern Time」が流れる中NYの街を歩くエンディングの吉川晃司が、
もんげーもんげーもんげーーーカッコイイーーー
かったのです。
そこからもうはまってしまいました。
コツメの母さんの母さんが、「コンサートは高校に合格してから」、というので我慢して我慢して高一の春に名古屋の勤労会館ってところの二階席から豆粒のような吉川晃司をみました。
FLEET K2という吉川晃司のファンクラブにも入り、「渡辺プロダクション友の会」にも同時入会し、毎月ナベプロの会報が送られてくるので、植木等や中尾ミエのスケジュールや近況にも詳しくなっていた16の春でした。
そして次にいったコンサートはファンクラブの先行予約のおかげで前から4列目。
間近で観た吉川晃司はとんでもなく素敵だったのでした。
ますますハマり、貢ぐコツメの母さん。
ファンクラブの会報かなにかに「刑事ドラマのオファーもあるけれど、アーティストとしてやりたいのでお断りしている」と書いてあったのですが、私は役者もいいのになと思っていました。
特に時代劇にでてほしいと私は願っており、COMPLEXの頃パソコンなんてなかったので、一生懸命雑誌の吉川晃司をスケッチして、時代劇のチョンマゲと着物を着せてそれを眺めて一人喜ぶ。。。という怪しい遊びをしていた18才でした。
時は流れ2009年、大河ドラマ「天地人」で信長役に抜擢された時、もうその頃は子育てに追われてCDも聴かなくなっていたけれど、私の夢が叶った気持ちがしました。
そして緊張しながら信長に見入りました。
天地人が始まると、それまで
「コツメの母さんは趣味が悪い。何を歌ってるかわからない。」と言っていた母や、さして注目していなかったコツメの父さんが
「吉川晃司、いいね。」
と言った時、私はちょっとうれしかったです。
まだまだ書きたいことはあふれでますが、キモいのでこのへんで。
ナベプロに入りたいと広島から手紙を送った吉川晃司少年がスカウトされたのは、ちょうどスター誕生で合格した松本明子を見に香川へ行くナベプロのスタッフが、ついでに広島に寄ったから。
なので松本明子を見ると「どうもありがとう」と思ってしまう
コツメの母さん。でした!