コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・社会人)、次女(コツメちゃん・高校1年生)の4人家族です。

なかよし→りぼん→別冊マーガレット 少女漫画の思い出

こんばんは!

コツメの母さん。です。

 

昨日はりぼんの発売日。コツメちゃんはここ1年「りぼん」の愛読者です。

今月のりぼんは580円。

 

えっ。580円!?高いですね…。

 

580円っていったら私が吉川晃司の大ファンだった高校生の頃に毎月買っていた音楽雑誌、「Pati Pati」と一緒です。

 

話を戻しますね。

 

皆さんは少女の頃、少女漫画ってどれを買っていましたか?

なかよし?りぼん?ちゃお?フレンド?ひとみ?マーガレット?花とゆめ?

 

私の初少女漫画雑誌は「なかよし」です。小学校3年生の夏でした。うちの母親は漫画をほとんど買わせてくれなかったのですが、とうとう根負けしたらしく許してもらえるようになったのです。(うれしかったなぁ)

 

私はその頃、漫画の原作がアニメ化されるということを知りませんでした。

母とスーパーマーケットに買い物に行った時、何気なく見た「なかよし」の表紙が「おはよう!スパンク」だったのです。その時初めて

 

「えっ。テレビでやってるスパンクってなかよしという雑誌に載ってる漫画だったんだ。」

 

とカルチャーショックを受けたのでした。

 

そこから私の漫画道がはじまりました。(たいしたことはないのですが)

漫画雑誌には読み切りと連載があること、読み切りタイプの連載があることなど毎月買っていくうちにわかってきました。

 

当時のなかよしは380円でした。私は毎月お小遣いで買っていましたよ。

人気の漫画家さんはあさぎり夕先生、原ちえこ先生、佐藤まりこ先生、いがらしゆみこ先生、スパンクのたかなししずえ先生などなどいらっしゃいました。

曽祢まさこ先生の怖い話も大好きでした。

 

「全員プレゼント(略して全プレ)」にも初めて応募しました。

あさぎり夕先生の絵の描かれた小袋にラベンダーのポプリが入ってるのです。

ポプリって当時めっちゃ憧れたんですよ。

佐藤まりこ先生の漫画にもポプリを作るのが得意な女の子が主人公の漫画があったり、乙女のおしゃれアイテムだったんですよね。

今だったら100均でも手に入るポプリですが、昭和のあの頃にはポプリもポプリを入れるかわいいガラスのポットも田舎じゃどこで手に入るの?状態でした。

 

「全員プレゼント、素敵!」と思って準備を始めたコツメの母さんはそこで初めて知ったのです。

封筒に返信用の切手とポプリ代の切手を入れて送ればプレゼントをいただけるということを。

いやもうそれはプレゼントではないですね。

それは買うということですね。

 

全プレは買うものなのだと知った私でした。

それでも送られてきた時はうれしかったです。

 

そして次に購読を始めたのが「りぼん」です。4年生の頃、仲の良かった友達がりぼんを買っていたのです。

年の離れたお姉さんがいたせいか、その子はとても大人びていたのです。私は友達に憧れを抱いていて真似をしたわけです。

最初に買ったりぼんでおもしろかったのが一条ゆかり先生の「有閑倶楽部」でした。

他にも小椋冬美先生、高橋由香利先生、陸奥A子先生、そして「ときめきトゥナイト」の池野恋先生などなど。

最初に買ったりぼんは370円だったのを覚えています。

小椋先生の漫画を読んで東京に憧れました。

 

その後中学生の頃から別冊マーガレットを買うようになりました。付録がないので260円とお手頃な値段でしたが中身はとても面白くて何度も読んでいました。

くらもちふさこ先生、多田かおる先生、いくえみ綾先生、聖千秋先生などなど。

そして紡木たく先生の「ホットロード」。ホットロードはすごい人気でした。

 

高校生になってからは漫画雑誌は買わなくなりましたが、女子校だったので少女漫画の単行本の貸し借りがすごくてたくさん読みました。

人気だったのが

 

「王家の紋章」「悪魔の花嫁」「スケバン刑事」「ガラスの仮面」…。

 

回し読みしていました。

スケバン刑事は最後まで読めたけど、他の漫画は完結したのだろうか…。

 

と書きながら気になってきました。

 

子どものころ、コタツでみかんを食べながら漫画を読むのが一番の幸せだった

コツメの母さん。でした!