コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・大学3年生)、次女(コツメちゃん・中学2年生)の4人家族です。

昭和生まれは今日が成人の日。私の思い出。

 

こんばんは。

コツメの母さん。です。

 

久しぶりに電車に乗って外出(娘の薬をもらいに病院という地味な用事)したので今日は疲れました。

薬を作ってもらうのを待つ間コーヒーの飲みました。だれかにいれてもらうだけで美味しいですね。

 

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1月15日。いまだに成人の日、のイメージがあるコツメの母さん。

調べたら15日が成人の日だったのは平成11年までだったようです。

もうハッピーマンデーになって19年なんですね!!

まだ慣れていません。

 

以前、ブログで私にとって成人式は嫌な日だったと書きましたね。

ちょっとだけ思い出を書きますね。

 

当時、東京にいた私は、地元の成人式に参加するために帰省したのでした。

誰かといっしょに行こうとか、同窓会をしようとかそういう約束もないまま着物を着て市の会場へ行ったのです。

行ってみると小中学校、高校の知り合いがたくさんいました。

式が終わって、式場の前ではたくさんの成人の日を迎えた同級生がわいわいといたのです。

 

久しぶりの友達とちょこちょこ話しをしたのですが、気がついたら会場の前に私はぽつん。

誰からもその後さそってもらえなかったのです。

 

小学校の時の仲の良かった子は高校時代の友達と約束があったり、中学時代に仲の良かった子は小学校時代の友達と約束があったり。

一番仲の良かった子で東京にいた子はお母さんを亡くしたばかりでそういう場合ではなかったし、帰らない子も多かったのもあります。

 

みんな地元に残っていた子たちはもともと連絡を取り合っていたのでしょうね。

今みたいにメールがあれば遠く離れていても近くにいるみたいに連絡が取りやすかったでしょうけど、あの頃はちょっと面倒でした。

 

そんな感じで私は誰とも式後の予定はないまま電話ボックスから母に電話をして迎えに着てもらい、帰宅したのでした。

もともと友達も少なかったし、誰かと一緒に行動するとか、事前にちゃんと約束することをしない性格だったのにもかかわらず、成人の日にだれからも誘ってもらえなかったことは思いがけずショックでした。

 

今ではそんな風には思いませんが当時の私は、成人式の日に「コツメの母ちゃんさんを誘おう」って思ってもらえなかった自分は今まで何をしてきたんだろうと思ってしまったのです。

大げさだけど、地元からさようならといわれたような気持ちになったのでした。

 

実家に帰ると、近所の大学生で私の勉強を見てくれたお姉さんがクッキーと花束を持って来てくれました。

お姉さんは私が地元の高校生だった時、いろいろ教えてくれて優しかったけど、年頃の私は時々そういう優しいおせっかいがいやだなと思ったことがあったのです。

でも成人式の日はその優しさに素直にありがとうと思えたし、いやだなと思ったことがあったことを反省しました。

 

コツメの父さん。は成人の日になると毎年(欠席して実家にも帰らなかったので)

 

「成人式、親孝行のためにもちゃんとやっておけばよかったなぁ。」

 

と言います。

 

行って後悔した私。行かないで後悔する父さん。

 

私ももし行かなかったら後悔したんだろうな。

行っても行かなくても後悔なんだろうなと思います。

 

コツメの母さん。でした!