こんにちは!
コツメの母さんです。
読者になる、のところが169になっていました。
本当にありがとうございます。ブログを始めてまるっと2ヶ月になりますが、方向性もなく、日記や思い出話ばかりをつらつら書いています。
読みにくいかもしれません。すみません。
さてクリスマスも落ち着き、いろいろなブログでお子さんにあげたプレゼントの話を読みながら心をほっこりさせていました。
私はクリスマスプレゼントではなかったのですが、親からもらった贈り物で驚き嬉しかった日の思い出があります。あまりに嬉しかったことで強烈に覚えているお話です。
私の両親は福祉施設で一日中働いていました。
物心ついた時には、私の父と母は私より施設が優先だと自然と思っていました。
なので本当にたまーーーになのですが、両親が私をどこかへ連れていってくれる日はうれしいを通り越して
「こんなに嬉しいことがあったら後でとっても悪いことが起きるかもしれない。」
と不安になるくらいでした。
私が4歳か5歳くらいのある日、父と母が休みをとって私を遊園地に連れていってくれたことがありました。
私、怖がりなので遊園地って苦手なのですが、その遊園地の屋内広場になぜかたまたまゴレンジャー自転車の試乗体験コーナーがあったのです。
多分ゴレンジャー自転車を製造していたスズキ自動車さんが遊園地にくるファミリーをターゲットに営業に来ていたのだろうと思います。
遊園地に入場した最初の屋内広場で私はストップしてしまいました。
とにかくもくもくとゴレンジャーの自転車に乗り続けました。
体育館みたいな床をぐるぐるぐるぐる何周もまわりました。
父と母が笑いながらこっちを見ていましたが、とにかく補助輪付きの自転車が楽しくて楽しくてずーーーっと乗っていました。
私はゴレンジャーが大好きでした。
秘密戦隊ゴレンジャーは昭和50年(シクラメンのかほりの年ですね)4月から昭和52年3月まで放送された特撮ドラマのヒーローです。
当時保育園児だった私、いや、男の子みんながゴレンジャーにはまり、園庭で遊ぶときはゴレンジャーごっこでした。
私はゴレンジャーごっこに参加できたとしてもモモレンジャーの役で、「いくわよ!」と言ってハートのイヤリングを投げるふりをしたりしていたのですが、本当は本当はね…
アオレンジャーになりたかったの(´・ω・`)
アオレンジャーはリーダーのアカレンジャーより正直クールだったのです。
私は断然アオレンジャーファンでした。アオレンジャーになりたかった…。
でも無理なんだよね。所詮男社会なんですよね。絶対無理だから男子の選ばないモモを選択していたのです。
話は戻りますが、ゴレンジャー自転車を前にして私の気分はゴレンジャー。
心のなかで「バンバラバンバンバン♪ バンバラバンバンバン♪」と歌いながら悦に入っていたのです。
そこからの記憶はあまりないのですが、家に帰り私はテレビを見ていました。
教育テレビの赤いクマが出てくる人形劇だったと思います。(今検索したら「なにしてあそぼう」という番組のヤンヤンムウくんというクマと判明。76年まで土曜日に放送していたようです。)
すると
「コツメの母さんちゃん、ちょっときてごらん。」
と父母が私を呼んでいます。
台所の出口からつっかけを履いて外にでると、
見慣れないトラックの荷台から…
遊園地で乗ったゴレンジャー自転車(しかもボディの色がアオレンジャーモデル)がおろされるところだったのです。
あの時の気持ちを歌で表現するならば
♪うれっしくって〜 うれっしくって〜 ことーばにー できなぁぁいいー らーらーら ららーら…♪
でしょうか。
本当に言葉にならないくらいうれしかった。あんぐりしていました。
いまでもあの風景は忘れられません。
私が夢中でぐるぐる乗り回している間に、「あんなにコツメの母さんちゃんが夢中になるなら…」と両親はその場で試乗コーナーにいた店員さんのところへ行って購入手続きをしてくれていたのでしょう。
子ども心にそれもわかり、本当に父と母にありがとうって思いました。
うれしくてうれしくて家の周りをぐるぐる乗り回しました。もうすこし大きくなり、補助輪を外して練習したのもゴレンジャー自転車でした。
この後の誕生日の時も、私はゴレンジャーのヘルメットがほしくて父と買いに行ったのを覚えています。
おもちゃコーナーにドキドキしならが行った時、キレンジャーとミドレンジャーのヘルメットしかなくて『どうしよう。ショック。でもワガママ言っちゃいけないし』と呆然としたのですが…。
おとなしかった父が店員さんに聞いてくれて在庫を調べてもらえたのです。
待っているとしばらくして、「アカレンジャーヘルメットのみありました」
といって店員さんが片手に赤レンジャーヘルメットを持ってきてくれたのです。
ちぐはぐですが、それでもうれしくて私は赤レンジャーのヘルメットを買ってもらい、それを被り、アオレンジャーモデルの自転車に乗っていました。
それが一番うれしかった私の思い出です。
父はもう亡くなってしまいましたが、無口でちょっと怖くて今思えばコミュ障だった父だったけれど、私のために一生懸命やってくれたんだろうなぁと思います。
大人になるとわかるよ。ありがとう。お父さん。最近お墓まいりにいってなくてごめんなさい(T . T)
ちなみに私はアオレンジャー自転車に自作のサイドカーをつけたくて画策していたのですが、所詮5歳児には出来ませんでした。
いまそういうDNAをコツメちゃんが受け継いでいます。へんなものをよく作っています。
コツメの母さんでした!