こんばんは!
コツメの母さん。です。
最近、平野ノラだったりおぎのめちゃんのダンシング・ヒーローだったり、バブルの感じが懐かしがられるような雰囲気になっていますね。
ホテルのプールでお酒を飲みながら写真を撮っているインスタ女子の特集をテレビでみたのですが、バブル時代の時みたいだなと思いました。(でもやっぱり違うんですけどね)
娘からもたまに「バブル時代ってどんなだったの?」と聞かれます。
当時私は高校生から短大卒業するまでくらいだったのであまり恩恵は受けていませんが、やっぱりあの時は景気がよかったなぁと感じていました。
まず、カラオケ。
渋谷のビッグエコーとか週末の夜なんて部屋が全てうまっていて2時間待ちとか当たり前でした。昔は部屋代プラス歌う時は一曲100円だったことを娘にいったらとても驚いていました。
私は今のカラオケ屋さんがものすごく安くて逆にびっくりしています。
そして今のインスタ女子の子と同じですが女の子たちの幸せ自慢争いがあったなぁと思います。
クリスマスに何をもらったとか、彼氏の車はなんだとか、赤プリ(赤坂プリンスホテルですね)とってもらったとか、今書いていて思ったのですが大学生の男の子がティファニーとか赤プリとか車とか…やっぱりバブリーですよね(・Д・)
ただ、バイトしたりして無理はしていたと思います。
短大の入学式の時も女子大ですが門をでたらずらーっと他大学の学生さんがサークルのチラシをもって並んでいて、もらいながら駅までいくと結構な厚みになるくらいの量になっていました。
友達と「どこに入る?」と相談したりしていましたね。
私のお友達(性格も容姿も素敵な美人さん)は、すぐにサークルをきっかけに慶應大学の彼ができて、週末は彼氏のBMWで送ってもらっていました。
ある日、彼氏の車のドアから降りた友達をみかけました。ドアが開いた時、BMWの中から「ピーヒャラピーヒャラぱっぱぱらぱ〜♩」とおどるポンポコリンが大音量で流れてきて、景気のよさを感じたものです。でもなんだかこれは変だな、と思った記憶もあります。
洋服、バッグ、宝石なんて、質が悪くても高かった。
なんでもブランド名が入っていて、入っている方が喜ばれました。
みんな同じ髪型(ソバージュ)、同じバッグ(ソニアリキエルとかモスキーノとか)を持っていましたね。
ドラマの主題歌はのきなみ売れるし、ドラマのOLさんは家賃払えるのか?というくらい現実的でない家に住み、すごい肩パットのスーツを着て、恋愛に悩んでいました。
それをお手本にしてみんな背伸びしていたような気がします。
コツメの母さんはどうだったかといいますと、
当時もしっかり感じていましたが時流にのれない自分がいました。
夏はテニス、冬はスキーというよくあるサークルに友達とはいったのですが、テニスコートで並んでぼんやりと順番を待って、自分の番がきたら先輩が打ったテニスボールをぽーんと打ち返して終わり、帰りにお茶するという内容がつまらなくてつまらなくて
「私、何してるんだろう?」
と思ってしまい2回くらい行って辞めてしまいました。
バッグや洋服にもあまり興味がなく、今思っても何をしていたんだろうと思います。
バイトをして大好きだったアーティストのライブに行くことが楽しみだったなぁと今思い出しました。
そんなわけでバブルの恩恵はあまり受けていません。ただやっぱりバブルの恩恵といえることがあったとしたら、短大の周りの子はみんないい会社に就職したことです。
ところが同じ年の大学に進んだ子はわずか2年後、就職するのがとても難しくなっていました。
バブルの崩壊です。
それでも根拠もなく日本の会社は潰れないとしばらく信じていました。
今思い出してもふわふわとした時代だったと思います。
コツメの母さん。でした!