コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐・社会人)、次女(コツメちゃん・高校1年生)の4人家族です。

昭和50年。『でしょうね…』と自分を恥じた4歳の私。

こんばんは!

コツメの母さん。です。

 

最近、インフルエンザワクチンのことばかりを考えてさまよい歩くワクチンゾンビだった私でしたが、無事に今朝インフルエンザの予防接種を受けることができました。

一つ、気になる物事が減りました( ´ ▽ ` )

 

さて、昨日保育園時代の話を書いたのですが、正直読んでくださる方や、反応してくださる方がいらっしゃるなんて思わずにいたので、とても驚くとともに聞いていただいてありがとうという気持ちになっています。

 

今まで生きてきて、自分にとっては印象的な出来事である思い出をアウトプットする必要も機会もなかったし、今もないのですが、なんとなく独り言のように話したいと思うことがあるのです。

なのでまた書いてしまいます。

 

昨日のおそろしいおやつの事件から2年ほどさかのぼる、4歳のころの話です。

コツメの母さんはその日、いつものように登園したのでした。いつものように過ごしていたはずなのですが、いつもよりさらに何事にもやる気が起きませんでした。

 

教室は園庭に面している一階の部屋で、園庭側は窓ではなく外へ出入りできるように掃き出し窓になっていました。

その窓際に長机を並べて、その日は工作をしていたのです。

コツメの母さんは工作やお絵かきは大好きでしたが、その日は本当にやる気がおきず、机にだらんと突っ伏してしまうようなだめっぷりでした。

 

すると口が達者でいつも私に意地悪なことを言ってくる同じクラスのEちゃんが

 

「先生!コツメの母さんちゃんがぜんぜん工作やらないんだよー。みんなで作らなくちゃいけないのに。」

 

と先生に言いつけるのです。

じっとしている私。

先生もそれを見て、

 

「コツメのかあさんちゃん、みんなでやらなくちゃだめじゃない。」

 

と注意するのですが、私、そんなことを言われてもなんにも動かずじっとしていたのです。とにかくやる気がおきないのです。

すると先生もあきれた様子で

 

「はーい。もうコツメの母さんちゃんは放っておいて園庭で遊びましょう!」

 

というと

 

「わーーーい」

 

とみんなが掃き出し窓からどどどっと園庭へ飛び出して行きました。

 

しばらく突っ伏していたのですが、教室がシーンとなったので、むくりと上体を起こし、まっすぐ外の様子を見ました。

遠くではみんなが園庭で遊んでいます。

先生は藤棚の下の砂場に集まっておしゃべりしています。

私は教室からぼんやりと眺めていたのですが、一人になって落ち着いて気がつきました。

 

『私、熱があるな。病気だ。』

 

コツメの母さん、熱が出ていました。いつもやる気がなくてだるいと思っていたからわかりにくいけど、今日のだるさは病気だと気がついたのです。

 

お砂場が遠いなぁ…と思いながらとぼとぼ歩いて先生に言いました。

 

「きもちわるい。」

 

先生ハッとして私を連れて教室まで戻り、熱を計ってくれました。

そして

 

「熱があるから、お父さんに連絡するね。迎えにきてもらえるまでお布団で寝ていなさいね。」

 

と言って、教室の隅っこにお布団を敷いてくれました。

私は冷たいお布団の中にもぞっと入りました。

すると先生が

 

「何か飲みたいものある?」

 

と聞いてきたのです。無理だってわかってるよ、だけど何か飲みたいものある?ってきかれているから私の飲みたいもの言ってみてもいいんだよね?とちょっとの間葛藤し、思い切って

 

「カルピス…」

 

と言いました。

 

先生速攻で

 

「カルピスはないのよ。お茶持ってくるね。」

 

と言いました。

 

『でしょうね…。でも先生なんでお茶しかないのに聞くのかな。』

 

と無理だってわかっていたのに少し期待をしてしまい、無謀なトライをした自分を恥じた私でした。

 

先生がいなくなったあいだ布団の中から見えたのは綺麗なガラスの花瓶に入ったヒヤシンスの球根でした。

 

当時はヒヤシンスと分からなかったのですが、綺麗な日差しを浴びながらきらきらひかる花瓶のヒヤシンスをじーっと見ていたら頭の中で当時流行していた歌謡曲が流れ始めました。

 

♪真綿色した〜 シクラメンほど 清しいものはない〜♪ (布施明 シクラメンのかほり)

 

頭の中でシクラメンのかほりを再生させながら父親の迎えを待ちました。

父が教室の引き戸からひょこっと現れた時、ほっとしたのを覚えています。

 

父は10年前に亡くなってしまいましたが、あの曲を聴くといつも父の迎えを待っている自分を思い出します。

 

コツメの母さん。でした!