コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐)、次女(コツメちゃん)の四人家族です。

平成15年(2003年)の思い出 日本からアメリカへ

おはようございます。

 

コツメの母さん。です。

 

平成思い出シリーズ、本日は平成15年です。(やっと半分来ました)

よろしくお願いします。

 

私にとって2003年は大きな出来事があった年になりました。

 

コツメの父さん、勤めていた会社から留学させてもらえることになったのです。

とはいえ、留学させてもらえる権利をもらっただけで、留学先は自分で調べて、テストを受けて、受験しなければなりません。

 

コツメの父さん、人生初の予備校に通うことになりました。もちろん昼間は会社で予備校は夜でした。

もし留学先の大学院に合格したら私たちも帯同しなくてはなりません。

コツメの母さんはびびっていました。

 

どこへ行くんだろう…。

 

と不安でいっぱいでした。

 

しかもコツメの父さんが合格するかわからないので4月からピヨ姐は普通に近所の幼稚園へ通うことになったんです。

若干隠れコミュ障の母さんは、毎朝幼稚園のバス停に行くために濃い抹茶を立てて飲んで気合いをいれてからお母様の集まりに参加していました。

 

ピヨ姐の幼稚園生活

ピヨ姐は一人っ子だったからでしょうか。あまり同級生といっしょに遊ぶことが上手ではありませんでした。

おしゃべりも早生まれのせいか他の子にくらべるとあまり上手ではなかったです。

 

でも、おしゃべりは苦手だけど不思議なこだわりがありました。

幼稚園に入園する前の2月に、幼稚園の説明会があったのですがその時入園する園児のクラス分けが決定して名簿がくばられたのです。

4クラスで120名くらいいたのですが、ピヨ姐はその名簿が大好きで入園する前には1組から4組まで出席番号順に全部名前を暗記していました。

入園してからも

 

「今日幼稚園で何したの?」

 

と私がきくと

 

「3くみのすずきたろうくんがいた。」

 

とか人の名前をよくいうのです。おそらく園庭に出た時に出会った子の名札に書いてある名前をチェックして頭の中の名簿と照らし合わせるという遊びをしていたんですね。

遊んだ話も時々しましたが、名簿に対する思い入れが強い子でした。

 

 そして初夏。とうとう父さんの行き先が決定。

最初は冬めっちゃ寒くなるアメリカの大学院に決定したのですが、その後冬も暖かいロサンゼルスの大学院に合格し、寒がり父さんはロザンゼルスに行き先をぎりぎりで変えました。

そして都合により、父さんは私たちより2ヶ月ほど先にアメリカへいってしまったのです。

 

そこからが大変でした…。

 

幼稚園の手続き、引越しの荷造り、引越しの手続き、いろいろいろいろ…。

神経質でおこりんぼのピヨ姐を抱えながら準備の日々…。

手続きの都合があって、渡米する飛行機のチケットもいつとれるかわからず、父さんの会社の人がチケットを取り次第連絡して手渡しする、みたいな段取りになっていました。

 

出発する直前には疲れがたまって熱がでてしまいました。静岡から私の母も手伝いにきてくれました。ある日コツメ父さんの会社の知らない人から電話がきて

 

「チケットがとれましたからS駅の時計台の下に来てください。そこでお渡しします。」

 

と江戸川乱歩みたいなことを言われ、ピヨ姐を母に預けてS駅に行き、その翌日かその翌日くらいに渡米しました。

成田空港で3歳のピヨ姐は空港にいる見ず知らずの人をつかまえては

 

「今からわたしね、ママとね、パパを探しにアメリカに行くの…。」

 

と、わけあり感満載で話すので困りました…。

 

LAの生活がはじまる…全然慣れない。私が!

LAは真っ青な空とギラギラした太陽で毎日ぴーかん。

外国人がたくさんいるので基本みなさん理解があってやさしかったです。

住んでいるところも村みたいに大きな長屋とマンションがたっているところであまり危険もなく、敷地内なら夜歩いても怖くない。

歩いてデパートやスーパーへもいけるところでした。

 

最初、会う人会う人すれ違う時目があうと必ず

「How are you?」

って早口で言われるので律儀に

「ア…、アイム、ファイン テ、テンキュー」

とドキドキしながら答えていました。

がしかし、「ア、アイム…」の時点で「はわゆー」って聞いた地元の人、すれ違っちゃっています!

もういなくなってます!私のファインテンキューはどこへ向ければいいのでしょう。

『もっと早く「アイムファインテンキュー」言わねば…』って思ったんですが、

ちょっとしたら「I'm fine thank you」なんていってる人いないぞということに気がついたのでした。

 

ピヨ姐を連れて歩いてスーパーマーケットに行くとレジの人に

「Paper? or  ✖︎△@#$?」

と毎回聞かれます。

ペーパーしか聞こえないので

「ペイパープリーズ」って答えると買ったものを紙袋に入れてくれました。

私は他のお客さんがもってるレジ袋がほしいのに…。

✖︎△@#$?がレジ袋だってことはわかっているのです。でも全然聞き取れないのです。

泣けます。

レジ袋すらゲットできないわたし…。生きていけるのでしょうか。

ビニール袋だからヴァイニール?ヴァイニールバッグ、プリーズ?と考え込む…。

 

そんな中、船便でおもちゃが届くのに1ヶ月かかる間することなく地元のディズニーチャンネルをガン見していたピヨ姐が私と手を繋いで買い物へ行く時、突然ご機嫌な様子で

 

「フッサラ ヤミヤミ フッサラ ヤミヤミ♪」

 

と呪文のように歌い出したのです。LAにきてしばらくした時でした。

 

腐っ皿 闇闇 腐っ皿 病み病み???はぁ?

 

と思っていたらディズニーチャンネルで朝やっているおかあさんといっしょみたいな番組、「The Wiggles」でときどき歌われる「Fruit Salad」という歌でした。

 

腐っ皿 闇闇とはFruit Salad Yummy Yummyで、フルーツサラダはおいしい、おいしい、だったのでした。

「ぴ、ピヨ姐の方が馴染み始めている…」

とさらに落ち込むのでした。

 


Fruit Salad yummy yummy

 

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ピヨ姐〜!遠くに行かないで〜!

 

そんなわけで私も泣いてはいられないとピヨ姐が地元の保育園へ入園したのを機に、午前中は無料で開講してくれている英会話の教室へ通うことにしたのでした。

いろんな国の人がきていて、近所の人ばかりです。

 

同じように旦那さんが留学している韓国から来た人もたくさんいて、私はその人たちにわからないことは聞いていました。

スーパーのレジ袋はヴァイニール、ではなく、プラスティックでした。

plastic bagだったのです。

 

韓国の人に聞いたことといえば、

2003〜2004年の日本での「冬のソナタ」ブームです。

ヨン様が人気だと聞いていました。活字でヨン様って書いてあるけど、何?どんな人なのだろう、と思い、韓国のお友達に休み時間、またもヘンテコ英語で

 

「アイド ライク トゥー シー ザ コリアン アクターズ フェイス。ビコーズ ザ アクター イズ ベリー フェイマスアンドポピュラー イン ジャパン ナウ。 バット アイドント ノウ ヒズ フェイス。アイ レアリー ウォント シー ヒム。 ヒズ ネーム イズ ぺ!

アイ フォーゴット ヒズ ネイム。オー!アイリメンバー、ヒズ ニックネーム イズ ヨン様!」

もう韓国の子たち、ぽっかーん。

私は加トちゃんくらい「ペ!」「ぺ!」を連発。

そしてあ!冬のソナタだと思い出して、

「ヒズ ドラマズ タイトル。メイビー ウィンターズソナタ」

と言うととうとう韓国の子が

「Oh,Bae Yong Joon?」

と正解をだしてくれたのでした。

そして英語で「明日彼の写真を持って来てあげますね。」と言われ、翌日雑誌の切り抜きをもってきてくれたのでした。

 

あぁ〜これがヨン様かぁ…。

「ビューテフルマン テンキュー。」

と言いました。

なんだか教室で切り抜きを見せてもらうなんて高校生に戻ったみたいで楽しかったです。

 

あの頃はまだYou Tubeもなかったので日本の動画も見られませんでした。

なぜかその頃ヨン様の文字はあっても画像がみつけられなかったんですよ。不思議です。

ネット環境が悪かったのかもしれません。あぁ、だんだん詳細なことを忘れてしまって来ますね。15年以上前ですからね…

 

コツメの母さん。でした!