コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐)、次女(コツメちゃん)の四人家族です。

平成14年(2002年)の思い出

こんばんは。

 

コツメの母さん。です。

 

平成思い出シリーズ、今日は平成14年です。

 

 

1月

ピヨ姐、2歳になりました。

このころのピヨ姐はだんだんお話ができるようになってきました。

そしてこの年、ピヨ姐に早い初恋が訪れます。

 

それは…

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氷川きよしさん。

毎日、しまじろう、おかあさんといっしょに加えて、録画した演歌番組のヘビロテ。

ピヨ姐はモー娘。でもなくジャニーズでもなく、最初に覚えた歌手は

 

「きよし」「鳥羽一郎」「香西かおり」「島津亜矢」でした。

 

 2月ソルトレイクオリンピック開催。

この年のオリンピックは日本はメダルをあまり獲得できなかったのでそんなに記憶に残っていません。

ですが、一番印象に残っているのはフィギュアスケートです。

男女シングル、そしてもめて結局2カ国金メダルでおさまったペア。それそれがインパクトがありました。

 

まず、シングルで金メダルを獲得したアレクセイ・ヤグディンの仮面の男は、素晴らしかしかったです。

大きな大会でしか見ないにわかですが、今まで見たフィギュアの演技のなかでソルトレイクのヤグディンは一番です。

いまだに見てもぐぐっときます。

男子フィギュアシングルは、感動的、素晴らしい、のインパクトでした。

 

そして女子のシングル。これは「こんな逆転、起きる!?」というインパクトでした。

金メダルに輝いたのはアメリカのサラ・ヒューズ選手でした。ショートで4位。

そしてそこからの大逆転金メダルです。

 

ショートの時点でサラちゃんの上にいたのは、サーシャコーエン、イリーナスルツカヤ、ミシェルクワンですよ。

 

おそらくあまりプレッシャーがなかったと思うのですが、サラ・ヒューズの演技は16歳の若さあふれる元気いっぱいの演技で本当にかわいかったです。女性コーチと仲が良さそうで、アメリカの元気で裕福な賢い女の子という感じでした。

優勝するとは思わなかったけど…。

 

サラちゃんの演技の後、

 

ミシェルクワン…あれ?

これスルツカヤ金メダルじゃ?

 

見ているこちらもドキドキして最終滑走のスルツカヤの得点が発表された直後だったと思います。

パッとカメラが控え室みたいなところで並んで座っていた女性のコーチとサラちゃんに切り替わった瞬間、雷打たれたみたいに二人が

 

「うkyぁぁcあcあらxきぁ!オーマイガー。」

 

といって二人で椅子から転げ落ちたんです。

コツメの母さんも、

「え?どうしたの?」

と思ったら1位…。

え?1位?

4位が1位…?

スルツカヤじゃないの…?

 

って思いました。当時心の中でみんなが自滅した「たなぼた金」と思ったのですが、今見てもスルツカヤの演技も全然悪くなかったんです。

スルツカヤ金メダルでもおかしくなかったです。というかスルツカヤだと思っていました。

アメリカ開催というのもサラちゃんに有利だったかもしれないですね。

 

そしてペア。

ちょいミスしたロシアが1位で、ノーミスのカナダがなんで2位なの?と騒ぎ出してフランスの審査員がロシアに肩入れしたといって(←のちに否定)結局、銀は金になってロシアとカナダが両国とも金になったという…。

演技は両国とも素晴らしいからロシアの選手に文句言う人はあまりいなかったと思います。

あの頃は、「ほんとフランス悪いなぁ。」と思ってしまったけれど、

今思えばカナダに肩入れしたアメリカのジャイアン感がすごいな…。(←勝手に私が思っているだけです)

 

あきらかなズルだったらくつがえりますが、微妙…なやつってくつがえらないことが多いのになぁ。あきらかに誤審でもなかなか覆らないし、それも運、実力のうちなんて言われてあきらめちゃったりしますよね。

 

芸術点というスピードスケートでいうタイムやスキージャンプでいう飛距離のように同じ基準ではかることのできない審査自体が公平ではないのでしょうから…仕方ないのかもしれませんね。

 

6月コラムニストで消しゴム版画家のナンシー関さん急死

 

ナンシー関さんを初めて知ったのは週刊朝日で連載していた「ナンシー関の小耳にはさもう」でした。毎回面白くて松っちゃんのコラムとともに楽しみに読んでいました。

「小耳にはさもう」はナンシーさんがテレビやラジオでの著名人の発言についてひっかかったことを取り上げて、それについての独自の考えが書かれています。

 

ナンシーさんのコラムを読みながら「私もあれ、見てておもった〜。」ということがあると、「同じ番組を見ていたんだなぁ」とちょっとうれしかったりしていました。

 

若くして亡くなられてしまったので残念でしたが、マツコデラックスさんをみるとナンシーさんを思い出すことがあります。

切り口が似ているんですよね。

ナンシーさんはテレビにでなかったですが、もし生きていたらマツコさんのテレビには出たんじゃないかな、なんて思ったりします。

 

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↑本棚に置いてたまに読みます。

 

9月小泉首相が北朝鮮を訪問。拉致を認める。

とても大きな出来事でした。

10月に拉致された日本人が一時帰国することになった日、だれが飛行機から降りてくるんだろうと思いました。

長い間北朝鮮にいて、日本語は話せるのだろうかと思いました。

 

タラップを降りてきたときは、行方不明者の名前が報道されて知っている人ばかりでしたが、一人だけ曽我ひとみさんについては「誰?」とびっくりしました。

行方不明で北朝鮮にいる可能性があると思われていなかった人も北朝鮮に拉致されていたんだと驚きました。

そして会見の時にどんな言葉で話すのかな…と緊張しながらテレビをみていると、

曽我さんが

「会いたかったです」

といい、私はドキッとしました。

 

この長い間、日本は景気がどんどよくなってバブルがあってはしゃいでいてそして不景気になって、その間もずっと知らない国で日本に帰りたい、家族に会いたいと思っていたのかなと…。

 

この頃ピヨ姐は幼稚園に入園する前のプレ幼稚園というものに通っていました。

2時間くらいの短い間ですが、初めて自分の手から離れて園で活動します。

その間同じプレ幼稚園のお母さんとおしゃべりすることもあったのですが、曽我さんの言葉にどきっとしたね…と話したのを思い出します。

 

書きながら、あれからもう17年も経ってしまったんだなぁと思った

 

コツメの母さん。でした。