コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐)、次女(コツメちゃん)の四人家族です。

平成10年(1998年)の思い出

こんにちは。

 

コツメの母さん。です。

平成思い出シリーズ、平成10年になりました。

すみませんがよろしくお願いいたします。

 

前年の秋に結婚したコツメの母さん。あまりに暇なので平日はパートを始めました

朝の9時から夕方までフルです。最初はおたおたしていましたが、パート仲間がたくさんできて楽しい職場でした。

 

映画「リング」公開

1月31日鈴木光司の小説を映画化した「リング」が公開されました。

当時とても話題になり、コツメの父さんも原作の小説を買いました。

調べてみると小説は初版は1991年、文庫化は1993年と結構前だったんですね。

会社の帰り道、駅からアパートまで20分、本を読みながら歩いて帰って来た父さんは

 

「あんまりに怖くて、読みながら何度も後ろを振り返った。」

 

と言うのでちょっと呆れてたのですが、読んでみたらほんとに怖かったです…。

最近また久しぶりに映画リングを見ましたが、呪いのビデオの映像、怖い…。

そしてラストシーンの貞子は数あるホラー映画の中でも名場面ですよね。

 

あれから20年の間に貞子は貞子という独立したキャラクターになりました。

 当時生まれていなかったうちの娘たちでさえ映画自体も見ていないのに、貞子イコール髪がだらりの白い服を着た井戸から這ってくる人と知っていますもんね。

すごいなぁと思います。

私はもしペンションに泊まった時にタイトルシールが貼られていないビデオテープがあっても絶対に見ないと思いましたよ…。

 

長野オリンピック開催

 

長野オリンピックで記憶に残っていること…

里谷多英選手のモーグルです。モーグルがオリンピックの正式種目になったのは1992年のアルベールビルオリンピックだそうで、私にとって馴染みのない新しい競技でした。

そんな時、里谷選手の演技に解説のかたが

「すっげー」とか「やったぜ多英!」とめっちゃフランク、軽い口調だったのが本当に印象的でした。

やっぱりオリンピックは特にお堅い言葉で話す…というイメージだったのでちょっと違和感を覚えたし、新しいスポーツなんだなぁと思ったのでした。

 

そしてジャンプの「ふなきぃ〜」が一番印象に残っています。そのせいで原田さんの顔を思い出すのに、「船木」が先行して「原田」の名前が思い出せなくなっていました。

 

そして閉会式の「WAになっておどろう」

すごくよかったです。なんとなく閉会式って開会式よりも印象に残らない感覚があるのですが、あの閉会式のWAになっておどろうはよかったです。

ほんとにいろんな人たちが楽しそうに輪になっておどっていて、平和の祭典という感じがしました。

V6のイメージがありますが、もともとは長万部太郎(角松敏生さん)のバンドAGHARTAで、オリンピックでもAGHARTAが演奏しています。

コツメの母さんの友達は家族がスポーツ関係の仕事に就いていたので長野の時は開催中ずっとボランティアで手伝いをしていたのですが、最後に閉会式は見ることができたそうで、ものすごく感動したとオリンピックが終わった後話をしていました。

いつも冷静で静かなる友達が感動したくらいです。あの閉会式はテレビで見ていてもよかったから、生でみたらなおさらだろうなと思いました。

 

モーニング娘。追加メンバーオーディションを開催

これ、おどろきました。

いつものごとく「ASAYAN」を見ていたら、つんくさんが軽い感じで「ふやそう。」と言うのです。

五人でがんばっているのにえー、追加するの?と思った視聴者です。テレビに楽しく踊らされました。

でも同時に、看板を変えずにメンバーが流動的に変わるというシステムってすごいなぁと思いました。だれかが脱退して代わりに追加はわかりますが、増やすというのが画期的でしたよね。

このオーディションで保田圭ちゃん矢口真里ちゃん、市井紗耶香ちゃんが入るのですが、あの番組の面白いのは元のメンバーが本当にいやそうな顔をしたりするんですよね。

私はオーディションで矢口さんが合格するのではと推していました。賢そうでかわいかったんですよ…。

 

6月 FIFAワールドカップフランス大会開催

この年のW杯は日本が初めて出場を果たした大会です。始まる前から日本全国大盛り上がりでしたね。

日本はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと対戦することになりました。

いまでこそ曲がりなりにもサッカーやW杯の知識が浸透したと思いますが、あの頃はお祭り騒ぎでもりあげるので、なにもわからない母さんや周囲も

「もしかしたらクロアチアには勝てるんじゃないかな」

なんて淡い期待をする人もいました。

あまりに特番や特集をするので、コツメの母さんもちょっと淡い気持ちで

「一勝くらいできる可能性はあるかねえ?」

とコツメの父さんにいうと、サッカー大好きコツメの父さんが

 

「は?一勝?・・・一勝どころか今の日本は今大会で一点とれるかどうかですけど?」

 

といったのです。

父さんってこういう人なんです。盛り下げちゃうんです。淡い期待を一発でなしにするようなことをしちゃうんです。

 

でも、結果は本当にそうでした。

日本は3敗。中山選手がジャマイカ戦で日本人初の一点をいれました。

 

あの頃はまだビデオデッキだったのですが、コツメの父さんはW杯は全試合録画(前回のアメリカ大会も全部録画)していたので、フランスとの時差のせいで大変でした。

VHSビデオデッキと8ミリビデオデッキと2台駆使して録画しており、父さんのせいで私は寝不足続きで本当に勘弁してくれと思いました。

 

夏 和歌山毒物カレー事件発生

夏はこの事件が毎日放送されていました。

 

和歌山毒物カレー事件

1998年7月、和歌山市園部地区の自治会が主催した夏祭りで、住民が作ったカレーの鍋に何者かによって猛毒のヒ素が混入され、これを食べた4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒になった事件。

 

疑われた女性(のちに逮捕。死刑判決。)の家にマスコミがおしかけていました。

確かに怪しさはあったのです。

ヒ素は家にあったし、夫はヒ素を飲んで保険金を受け取るという保険金詐欺をやっていました。働いていないのに大きな家に住んで豪勢な生活をしていたと報道されていました。

 

保険金詐欺で逮捕し、状況証拠を積み上げてカレー事件の逮捕に至ったわけですが、決定的な物的証拠はないですし、「わたしがやりました。」という自白はありません。

 

真実はわからないです。

 

その頃、インターネットはもうすでにあったのですが今みたいにみんながネットを使える環境ではありませんでした。

うちは父さんが学生時代からPCを使っていた(当時モニター25万、PC45万円近くしたと思います。)ので私もアパートでネットサーフィンしていました。

結婚したばかりの頃は父さんの会社のPCと自宅のPCでメールでやりとりしているだけで、父さんの同僚から「サイバー夫婦だねぇ…」と言われる時代でした。

 

そのカレー事件の頃、ボンカレーの有名なパッケージがありますよね。女優さんの顔をこのカレー事件の被疑者に変えたコラ画像が出回っていました。

そういう不謹慎なものが不特定多数の人にあっという間に出回ってしまう時代になってきたのです。

今もひどいですが、あの頃はそういうことに対してさらにモラルが低かったです。

 

横浜ベイスターズ セ・リーグ優勝

横浜ベイスターズが38年ぶりに優勝しました。

コツメの母さん、その頃横浜に住んでおり、パートはスピード写真屋さんだったんです。

あの頃はデジカメがだんだん普及してきたものの、まだまだ世の中は35ミリフィルム、写ルンですの時代だったため、スピード写真屋さんは今よりたくさんありました。

APSっていうフィルムもでていました。

もうベイスターズフィーバーの試合後の翌日の写真屋さんはとんでもない数のフィルムが来て、本当に本当に大変でした。

能面のような顔で無言でただただフィルムを現像しまくりました。

20年経ちましたが写真のL版が12.7㎝×8.9㎝だということは忘れません…。

 

そんな1998年。

コツメの母さん。でした!