コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐)、次女(コツメちゃん)の四人家族です。

平成7年(1995年)の思い出

こんにちは。

コツメの母さん。です。

 

平成の思い出を振り返っています。

今日は平成7年(1995年)の思い出です。

 

平成7年の大きな出来事は

1月の阪神淡路大震災

3月の地下鉄サリン事件

だと思います。でもこの年もいろいろなことがあった一年でした。

 

コツメの母さんは、3月に無事に退職。そこから都内で一人暮らしを始めます。

そして正社員を辞めてアルバイトの生活になった時、初めて世間を知ることになりました。

自分の世間知らずさを実感して、世の中って立場によってこうも変わるのかと実感しました。

そして自分の生きてきた場所だけが当たり前の世界ではないんだと知ることになりました。

 

1月 埼玉県愛犬家連続失踪事件の犯人逮捕

1993年埼玉県熊谷市周辺で起きた連続殺人事件。

ペットショップを経営していた夫婦が客を殺害。

 

この事件は犯人の殺し方、遺棄の仕方が残忍でした。マスコミが先行して逮捕前の犯人を追っていました。

昔のことなのでだいぶうろ覚えなのですが、農道みたいなところでレポーターが逮捕前の男にインタビューしていたのをテレビで見ていました。

その時、いろいろ話をしたあと、男がにこにこしながらレポーターに

「やってないにきまってるだろ。なっ。」みたいなことをいってレポーターの体をポンっと軽く叩いた覚えがあります…。すごく…ゾッとしたのを覚えています。

なれなれしいんだけど、怖い。

レポーターも男がほぼクロだと思って聞いていたわけだから怖かったんじゃないかなぁと思いました。

逮捕されて少し経った頃、コツメの母さん、両親と埼玉の親戚の家に行くことになり、車の後部座席で横になっていたら窓から見覚えのあるあの店の大きな看板が。

犯人のペットショップが親戚の家の近所だったのです。

 

1月17日5時46分 阪神淡路大震災が発生

この日私は仕事が休みでした。

「早朝、関西で大きな地震があったらしいよ。」

と聞いてはいたけれど、そのまま出かけました。

3月いっぱいで退職することに決まったので、新たな生活のためにアパートを探しに不動産屋を回ることにしていたからです。

 

あのころはインターネットもスマホもない時代です。

一番早く知りたい情報はテレビからでした。

いったん外へ出かければ、テレビを見ませんから何が起きているかなんてわからなかったんです。

 

でも昼頃、内見をしたあとで不動産屋さんに戻った時、テレビに崩れた街並みや火事、煙の画像が写っていました。

とても驚きました。その時ただ事ではないと初めて知りました。

 

3月20日オウム真理教 地下鉄サリン事件が発生 13人死亡 5000人以上が重軽傷。

 

関西は震災で大変なことになっている…という時に東京では地下鉄サリン事件が発生しました。

この時私は帰省中で静岡にいました。

ここからずっとオウム真理教の報道が過熱します。毎日特番が組まれているかのようにオウムに関する報道ばかりでした。

日本でテロが起きるなんて…ととても驚きました。それまで私は「テロなんて外国で起こるものでしょ」、と思っていたんです。

 

4月自由になる?

4月、晴れて私は新しいスタートをきりました。

自分の好きなことをやろう!と思い、雑貨や洋服を扱っている小さな会社でアルバイトをはじめました。

朝起きてお弁当を作って、雑貨屋さんに行って1日働き家に帰る…。

バイト先の先輩はみんなフリーターでした。

その中で友達になった女の子は雑貨屋さんで働きながら音楽をやっている子でした。

今までの私の周りにはいなかった人たちです。

 

そして3日で知ります。

私、ポンコツだったんだ…。

 

お金の計算ものろい、包装も下手、声も小さい、商売なのにぐいぐいいけない、棚卸も遅い、みんながいらいらしているのがわかりました。

同じ頃入ってきた同じ年の子はきびきび働いて馴染んでるっていうのに…。

 

私、何やってきたんだろう…って思いました。

 

バイト先の人よりちょっとだけ長く勉強したけれど、

 

お金の計算がのろいんじゃはじまんないのです!

声が小さきゃ売れないんです!

 

私はどうしようもなくあまちゃんの世間知らずだったってことに気がつくにはそう時間はかかりませんでした…。

 

そしてアルバイトになると自分の身分を証明するものが激減することに気がつきました。

今までは学生だったり、お勤め先はどこそこ、と簡単に身分を証明することができたのに、国民年金手帳や、普通免許証、保険証くらいになってしまいました。

私はどこそこのこういう者です、がなくなると支障が出ることを実際仕事を辞めて初めて知ったのです。

世間からの信用?が減ってしまったように感じました。

 

それでもやりたいことをやれた一年でした。

焦りや不安もあったけれど、今振り返るとあの時間もすごく楽しかったし、必要だったのだと思えるようになったのです。

 

コツメの母さん。でした。