コツメの母さん。今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐)、次女(コツメちゃん)の四人家族です。

平成4年(1992年)の思い出。

こんばんは。

 

コツメの母さん。です。

 

今日も平成思い出シリーズを書いていきたいと思います。

私にとって平成4年は社会人になり、初めて辛いなぁと思った時代です。

 

コツメの母さん、短大の二年生の卒業間近です。

アルバイトもとっくにやめ、家に帰ると卒業論文を書く日々でした。

 

2月 アルベールビルオリンピック開催。

夜中ですががんばって起きてフィギュアスケーターの伊藤みどりさんの演技を見ました。

SPで4位と出遅れてしまったのですが、フリーではトリプルアクセルを見事に決めて銀メダル。とても感動しました。1度目のこころみでは転んでしまったものの、残り1分で飛んで銀メダルに輝いたみどりさんはすごかったです。

みどりさんの演技、今見てもジャンプが超高くてすごいんですよ…。

 

3月 短大を卒業。

友達と離れ離れです。とうとう学生時代が終わってしまいました。学生時代の仲の良いことハウステンボスへ卒業旅行しました。

 

4月 就職先が辛過ぎ…。コツメの母さん。毎日涙。

私は就職しました。卒業した大学で新入生のお世話をする職員さんです。

同僚は同じ大学を卒業した人ばかりでした。職場には20〜70代の女性(全員独身)が10人くらいいたのです。

 

就職が決まった後、時々用事があって春から働く職場を訪れていた頃は

 

「いらっしゃい。今お茶出すから飲んでいきなさいね。」

 

とお客さん扱いしてくれ、学生の私にとっては学生生活の間は優しい職員さんだと思っていた方々が、いざ就職してみると、初日からとんでもなく意地悪だったのです。

 

学生と同僚は違うのだというけじめだと理解しようとしたのですが、どう差っ引いても意地悪なのです。

学生時代と就職してからのギャップが怖くて、まだ20才そこそこの私は、仕事をしている間、常に緊張していました。特に意地悪だった先輩(50代)には緊張しすぎで挙動不審になってしまい、ますます嫌味を言われるしまつ。

おばさん同士で時々けんかも勃発するし、毎日が心臓に悪く…。4月は慣れないこともあって辛かったです。

 

 

4月25日 歌手の尾崎豊、逝く。

そんな時に歌手の尾崎豊さんが亡くなったことを知ります。

突然の出来事でした。死因は覚醒剤中毒による肺水腫。

ものすごく悲しかったです。

 

大ファンではありませんでしたが、高校時代から曲はよく聴いていました。

実は尾崎豊さんて熱狂的なファンももちろんたくさんいたのですが、それとは対照的に

「尾崎を聴いている。尾崎、いいよね。」というと

「え?何?反抗期なの?」とバカにする人もたくさんいたんです。

なので隠れファンも多かったように思います。

 

1992年から巻き戻って1987年。入学した高校で出会った友達が尾崎さんの大ファンでした。すごく面白い子で、

休み時間によく尾崎豊さんの曲について話したりしていました。

そんな彼女、運良く尾崎さんのツアーのチケットをゲットして、浜松市民会館で行われたライブに行けたんです。うらやましい…。

 

「どうだった?」とわくわくしながら聞くと

友達は

「最後に尾崎がギターを弾きながら歌っていたんだけど、時間がないみたいで、後ろのセットをまだ歌ってるのにスタッフがバタバタ片付け始めたんだよね。だけど尾崎はずっと歌ってるんだよね。」

と後ろを気にせず歌い続ける尾崎の真似をするのでそれがおかしくておかしくて

「なんか尾崎豊らしい演出だね…」

と笑いました。

ところがその後しばらくして尾崎さんは体調を崩してそのツアーが中止になってしまったです。

なんとラッキーな友達…。

 

その後も新しいアルバムがでるよでるよ、とその日を楽しみにしていました。

でるでる言われて尾崎ファンの友達と待っていたら延期。

秋にやっと出たと思ったら12インチシングルで2曲(1987年 核CORE/街角の風の中)のみ。友達と

 

「あんなに待って二曲かぁ…。なんでだよー(笑)」

 

と笑っていました。

 

そんな矢先、その年のクリスマスの前に尾崎豊が覚醒剤で逮捕されてしまったのです。

体調が悪かったのも薬物が原因だったかもしれないですね…。

 

いろんなことがありました。

 

そしてそこからの1992年4月。尾崎さんは27才で亡くなってしまいました。

尾崎豊さんは当然私を知りませんが、私は身近な人が亡くなったみたいにとても悲しかったです。

意外なほど悲しくなりました。

 

なんで悲しかったかというとおそらく今の自分の状況が辛かったのと、なんとなく尾崎豊さんが年をとることが想像できなかったのですよ。だから思った通りというかそういう最後になってしまったことがすごい悲しかったんですよ。

 

どうにもならなかったんでしょうね…。バカだなと思ったり、かわいそうになったり、いろんな気持ちになって、テレビでは歌声がワイドショーで流れるのですが、もうあの声を聴くのがつらくて、死後、ドラマの主題歌になった時も辛くてとばしていました。

今はもう普通に聴くし、歌います。

 

そして当時誰にも言えなかったのですが、仕事の合間を縫って、尾崎さんがほんとに亡くなってしまったのか目で確認したくて4月30日の休み時間、コツメの母さん、こっそり尾崎さんの葬儀が行われている護国寺へ行ったんです。

時間がなかったので中に入ることはできず、仕事にもどりましたが、長いファンの列にギリギリまでならんで護国寺の入り口に立てかけられた看板に「故 尾崎豊」という文字を行列の傘の間から見て、

「本当に死んじゃったんだ…」

と思い帰りました。

 

私の青春、吉川晃司さんは尾崎豊さんと仲がよかったので尾崎さんがあまり表に出ない時も彼の話をしていました。

飲みに行って酔っ払った時、カラオケで尾崎さんがモニカを歌ったことがあったらしく、私はその話を聞いて「めっちゃ聴きたい…」と思いました。

カリスマ扱いされていましたが面白い青年のイメージもありました。

 

 ↓つい数日前、家族で渋谷でポケモンGOしていたらこのレリーフがポケストップらしく、キョロキョロ見渡して偶然みつけました。

f:id:meredeloutre:20190407170428j:image
f:id:meredeloutre:20190407170436j:image
f:id:meredeloutre:20190407170433j:image
f:id:meredeloutre:20190407170440j:image

 

渋谷クロスタワーにあります。

 

渋谷や表参道に行くと、今でも尾崎豊さんを思い出します。

全部の曲は知りませんが、私の一番好きな尾崎豊の曲は友達ときゃいきゃい楽しみに待っていた時にでた「街角の風の中」です。

 

高校生の時、ほんのちょっとした言葉でへらへらしながらも傷ついていたので、この曲の歌詞がすーっと入ってきました。

 

亡くなってからはこの曲の印象が少し変わりました。

明るい曲調なんですが、なんとも言えない切ない感じが当時よりします。

 

平成4年の思い出が尾崎さんの話で終わってしまいました。

とにかくこの年は仕事に慣れず、人生でちょっとつまづき始めた年になりました。

 

コツメの母さん。でした!

 


街角の風の中