今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐)、次女(コツメちゃん)の四人家族です。

およげ!たいやきくん。

こんばんは。

 

コツメの母さん。です。

買い物にでかけると、行列ができていました。

たいやきやさんでした。

 

かわいいですよね。

たいやき。

 

f:id:meredeloutre:20181007221253j:image

 

たいやきといえば「およげ!たいやきくん」ですね…。

 

およげ!たいやきくんは1975年、フジテレビの「ひらけ!ポンキッキ」のなかでリリースされた曲です。

 

オリコン歴代シングルランキングでは第一位。売り上げは450万枚以上と言われています。

1975年はコツメの母さんは4歳で、弟が生まれた年。私はこのころからの記憶が結構あります。

 

コツメの母さんはこのころ大嫌いな保育園に通っていました。

朝はピンポンパンをみて、次にひらけ!ポンキッキを見て、ポンキッキの途中くらいで父の運転する中古のカローラに乗せられて保育園へ行く毎日でした。

 

父は寡黙なひとだったのですが、車で送ってくれる時に高確率で窓のそとを見て、

 

「コツメの母ちゃん、あそこにある建物は、浜松タコ大学だぞ。」

 

といいました。

 

浜松イカ大学のことで、私は毎回初めて聞いたようにあいそ笑いをするやさしい子どもでした。

 

さて、たいやきくんの曲は一大ブームを巻き起こしていました。

いとこの家に遊びに行った時、新し物好きの叔母がたいやきくんの絵のついたコースターでジュースを出してくれたことがありました。

「いいなぁ。○くん(いとこ)のおうちは。」とうらやましく思ったものです。

うちにはコースターなんてこじゃれたものもなかったですし、流行りのものってあまりなかったんですよ。

 

毎朝のようにひらけ!ポンキッキをみていましたが、いつ「およげ!たいやきくん」が流れるのかはわかりません。

でもそのご何年も「およげ!たいやきくんは」時々番組内で流れていました。

 

私は幼い頃なぜかあのイントロが流れると、

 

「たい焼き屋のおじさんと最後にたいやきくんを釣って食べてしまうおじさんが同一人物じゃないだろうか…」

 

と疑ってじーっとTVに見入っていました。

そして一番ですぐにでてくるにたいやきやのおじさんの顔を頭にインプットして最後のシーン、海辺でたいやきをたべるおじさんの登場を待つのでした。

 

そして

 

「あぁ…やっぱり別人だ。」

 

と思うのでした。そしてちょっとホッとするのでした。

だって、啖呵切って飛び出したのに、最後に絶対たいやきやのおじさんだけには食べられたくないし、知られたくないですよね。

たいやきくんだったら。

なので見知らぬおじさんでよかった、と毎回思うのでした。

 

私が最初のおじさんと最後のおじさんを確認するその間、たいやきくんは海でいろいろな経験をします。

たいやきやのおじさんとけんかして海に飛び込んだのですが、最初はいいんですよ…。桃色珊瑚が手をふってくれたりね。

だけどいいことばかりじゃないんですよね。

もうたいやきくん、サメに追いかけられたりお腹が好きすぎちゃって塩水飲んでるんです。

 

「あぁ、辛い。海って大変なんだな…。桃色珊瑚なんて手を振るだけで何もしてはくれないんだ。助けてくれるわけでもないし、食べ物をよこしてくれることもない。」

 

子どもの頃、そんなことを思いました。

そして大人になったわたしは、へらへらしているだけの無関心な桃色珊瑚であることに気がつくのですがね…。

 

そして最後の最後で釣り上げたおじさんに食べられる時のたいやきくんはもはやあのかわいい人面魚のような生き生きとしたたいやきくんではなく、この写真のようなふつうのたいやきになっているんですよね…。

つまりone of them になっているんです。

 

子どものころ、それがむなしくてね。

もう

 

僕はあきらめました。

 

って感じが歌にも絵にもでていたのです。

 

なんど聞いてもむなしさ漂う曲ですね…。

 

コツメの母さん。でした!