今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐)、次女(コツメちゃん)の四人家族です。

今の所人生で一番辛かった14歳の時に思ったこと。

こんばんは。

 

コツメの母さん。です。

 

夕方くらいから腹が立つこと、イラっとすること、悲しくなることの中爆弾くらいのやつが多方面からやってきてボディブローが効いているコツメの母さん。です。

 

そんな心持ちになった時に思い出す、

私が一番辛かった中2の冬の日々の話を書こうと思います。

 

中2の春、新しいクラスになった初日に思ったこと。

正直に率直に書いてしまうのですが…。

私は当時成績も行いもまぁまぁの子どもでした。あくまでもまぁまぁです。

 

そんな私がクラスを見渡して、

「自分より成績と行いが上の女子が必ず2人ははいるはずなのにいない!」

と思ったのです。

 

それと同時に

 

「おそらく女子の学級委員に1学期だから1年の3学期の学年末テストの成績で先生から指名される。」

 

と思いました。

案の定そうでした。

 

私は

 

「はい。」

 

と言いました。

 

先生は運動部を指導してる若くていい感じの理科担当の男の先生でした。

先生はなにかにつけて

「コツメの母さん、まとめてね。」

と言い、私もこなしていきました。

 

一学期に学級旗の作成がありました。これも私が中心に作っていかなければなりませんでした。デザインは松本零士の絵がめちゃくちゃ上手な女の子の下絵を採用。

私は全体指揮の役でした。

そういう時に必ず

 

「大変そうだから手伝うよ。」

「ミシンがけのところはお母さんができるから持って帰るね。」

 

と言ってくれた女の子がいました。

一年生の三学期、私が学級委員をしていた時、彼女は隣のクラスの学級委員をやっている子でした。

私は勘がよいところがあって、その子が本当は自分が仕切りたかったと思っているのだけど、笑顔で近づいているんだと思いました。

何かにつけて先生が私を指名するのが本当は面白くないのではと思っていたのです。

なのでなるべく言動に気をつけてありがとうというのを忘れずにいました。

 

でも彼女の魔の手?はどんどんどんどんじわじわじわじわと影の勢力を広げ、私はクラスでちょっと辛い立場になりました。

気の合う友達と呼べる子がいなかったのです。

ところが私はいっつもへらへらとしていました。

 

先生は私の立ち位置には全く気がついてない様子で、秋頃私を呼び出して言いました。

 

「コツメの母さん、このクラスから1人生徒会選挙の立候補者を出したいんだけど、副会長に立候補できる?」

 

私は

 

「はい。」

 

と言ってしまいました。

今思えば、私が文化部だったからなのです。

先生は運動部で、運動部所属のできる子は生徒会活動が部活の大会の練習に差し支えるから他のクラスも文化部ばかり指名されている傾向がありました。

 

翌日、先生は

 

「このクラスはコツメの母さんが副会長に立候補します。みんな応援するように〜。」

 

「はーい。」

 

…針のむしろです。

先生、このクラスで本当の意味で応援してくれる女子はちょっとしかいないんですよ。

と心の中で思っていました。

 

放課後彼女が作り笑顔でやってきて言いました。

 

「立候補のポスター描くの手伝うよ。」

 

私はどきんどきんしながら

 

「えー。ありがとう。ごめんね。部活忙しいのに。」

 

と答えました。何を言っても多分彼女にとっては嫌な奴に見えるだろうなと思いながら…。

 

さて、敵は彼女だけではありませんでした。

隣のクラスの女の子がなぜか私が立候補したことを耳にすると口を挟むようになりました。

その子は私と同じ部活で腐れ縁の子でした。

頭がものすごくいい子なのですが、きついところがありました。

その子が

 

「なんで立候補するの?私は担任から勧められたけど断ったよ。」

 

と言いました。

私が断ったくらいなのになぜあんたごときがと言いたかったのだと思いますが、それがそうだとしてもそこで辞退するわけにはいかないと思いました。

彼女の価値観だからです。彼女にとって彼女の価値観は常識だったのだと思います。

 

でも…関係ないですよね?不思議でした。

そしてやっぱり私のこと、下に見ていたんだなあと思いました。

 

それでもへらへらしてスルーしていたのです。

 

立候補者は選挙運動をします。

 

放送演説をしたり、給食の時間に各クラスを回って演説、最後は舞台の上で演説でした。

その期間の間私は毎日のように隣のクラスの腐れ縁から

 

「○さんたちがあなたのこと悪く言ってたよ。」

とか、

「ぶりっこしているって言ってたよ。」

とふきこまれるようになりました。

 

毎日、です。

 

「そうなんだ…」

とヘラヘラして鈍感を装って返事をしながらも心の中で

 

『あなたが一番私のことを悪く思っているくせに!!』

 

と思っていました。

それでも言い返せない。

だからずっと下に見られるんだと思っていました。

そしてそう思いながらも他人が私について悪口言っているのは事実なので毎日凹んでいました。

 

そんな日々のある昼休みに、一つ上の不良の先輩まで私を応援してくれたことがあったのです。

その翌日もそのことで悪く思っている人がいるよと言われました。

 

なにをしても、なにを言っても悪く思われる毎日だと思いました。

全員スパイに見えて来ます。

それでもなんのためだか知らないけれど演説の日々。

もう本当に辛くて辛くて親にも恥ずかしくて言えない。

先生にも言えない。

部屋でこっそり泣いていました。

 

ある時

 

もう消えたい。

 

と思うようになりました。

ずーっとそのことを考えるようになりました。

消えたら楽になる。

と思いました。

消えるというのは死んでしまうこと、1人で誰も知らないところで生きていくことの両方ありました。

でも14歳ではどこも雇ってくれないでしょう。

実際ぜったい人の力を借りなければ無理なのです。

 

そうなると死ぬということになります。

真剣に考えました。

ものすごく考えてシミュレーションすることにしました。

 

もし私が死んだら誰が悲しんで誰がなんとも思わないかを頭の中で分けていったのです。

 

私が死んで悲しむ人。

 

おとうさん。

おかあさん。

おとうと。

近所のおじさんとおばさん。

親友のキティちゃん。

 

その時、自分が死んだら自分のことを好きでこっちも好きな人が悲しむんだって気がついたのです。

 

そしてクラスの作り笑いのあの子はきっとわんわん泣いて私の死でさえいい人アピールに使いそう…と思いました。

 

それを思ったら

 

消えられない…と思ったのです。

 

そしてもう一つ分かっていたことがありました。

 

おそらくこの辛い日々は私の一生のなかでも上位だと思う。何十年経っておばさんになってもあの日々は辛かったって思うはずだ。

 

だけど将来、親の死やもっと辛いことがやってくるのは確かだ。

 

辛い大きさは

親の死>>>今の状況

 

だけど心のキャパシティは

 

おばさんの私>>>14歳の私

 

のはずだ。

 

きっと大人になって親が亡くなってもその頃の私の辛さを受け止めるキャパシティは大きくなっているだろう。

今はキャパシティより辛い方が大きい。

 

一番辛いのは今だ。

時間と経験積んだら大丈夫だ。

 

と思いました。

 

↓これはその時想像したイメージ図です。

 

 

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47歳になりましたが、14歳の頃に思ったことは当たっていました。

 

ただそれは今現在の話です。

やっぱり将来キャパを超えるような辛いことだって起きる予感はしているのです。

 

あの頃乗り越えてがんばったなぁと思います。

 

さて、選挙ですが私は当選しました。

担任の先生に呼ばれ、

 

「クラスのみんなもとてもあなたに協力してくれたね。感謝の言葉を伝えようね。正直いうと、クラスに1人だけあなたにいれなかったけれど、ほぼ全員があなたに投票したのだからね。」

 

と言われました。

私は作り笑いで

 

「はい」

 

と言い、帰りの会で先生が私のために作ってくれた時間をつかって当選の挨拶をしたのでした。

 

月曜日の朝礼で任命式がある前日。

私は夜中とつぜん体が動けなくなり苦しくなって薄眼を開けました。

薄眼を開けると寝ている私の布団の上に、真っ黒なんだけど体の線が薄く緑に光った人のような生物が座っていました。

大きい子と小さい子。

 

なぜか怖くなくてじーっと見つめながらいつの間にか寝てしまいました。

朝、ものすごい熱が出て学校を休むことができました。

「任命式にでなくてよくなった…」

と心の底から安心したのを覚えています。

 

この経験を通じて私は人の前に出る人ではない。小さい頃から出されていたけど本来出る人じゃなかったのだと気がつきました。

そしておもいっきり手を抜き始め、今に至ります。

 

今思うとあの緑に光った大きい子と小さい子はピヨ姐とコツメちゃんかも!?

と思ったコツメの母さん。でした。