今日は何かやってみよう。

日々の出来事を書いていこうと思います。家族は私、夫(コツメの父さん。)、長女(ピヨ姐)、次女(コツメちゃん)の四人家族です。

非常袋の点検。静岡のスパルタ避難訓練の思い出。

こんばんは。

 

コツメの母さん。です。

 

今日は玄関の靴箱の下にいつも置いている非常袋の点検をしました。

 

f:id:meredeloutre:20180807195019j:image

 

我が家は小さい袋と大きいリュックサックがあります。

 

小さい袋の点検↓

f:id:meredeloutre:20180807204343j:image

 

リュックの点検↓

f:id:meredeloutre:20180807204354j:image

 

↓期限切れのものがでました。もったいないので植木にあげようと思います。カンパンはさようならです。

それから缶詰も期限切れがでました。

 

f:id:meredeloutre:20180807195022j:image

 

水はまだ少しありますが、タンクで買っているので非常時はそれを使うとして。

食べ物類が非常袋には少ないです。

袋には入れていませんが、缶詰や即席麺は戸棚に常備。

電気が止まったのを想定してカセットコンロ。

東関東大震災の時にも足りなくて困った点はなかったのですが、一応ダンボールでできた簡易トイレは震災後に購入しました。

 

点検終了です( ´ ▽ ` )

 

コツメの父さん、母さんは静岡県出身です。

静岡県民は幼い頃から東海大地震がくるくる、くるくると言われて育ちます。

 

なので避難訓練はもうマジです。真剣です。

 

小学校の時なんてもう緊張の1日です。

避難訓練当日の朝、

 

「今日は避難訓練の日です。でも、いつ、訓練をするかは教えません。なぜなら本当の地震もいつくるかわからないからです。」

 

と先生が朝の会で言います。

 

「いつくるかねー。」

「給食の前かねー。」

 

と子供達は予想するのですが、授業が始まるとそのうち忘れてしまうのです。

そうすると突然

 

「じりりりりりりりり」

 

とサイレンがなります。

子供達はいったん机の下に入ります。

 

「地震発生。すみやかに避難してください」

 

と放送が入ると子供達は背もたれにかけた防災頭巾を被り、廊下にさっと並びます。

クラス全員並んだら速やかに校庭へ移動です。

 

その間、一言たりとも話してはいけません。

 

校庭へいくとヘルメットをかぶり、拡声器を持った校長先生、教頭先生が朝礼台で待っています。

先生の手にはストップウォッチ。

 

全校生徒が朝礼の時のように並び終えた時、

拡声器の先生が

 

「○分○秒ぉぉぉぉぉぉおぉ」

 

と移動を開始して、全校生徒がそろうまでのタイムを発表します。

 

どんなに早くともほめられることはありません。

というか何分何秒が早いのかもわからないんですけどね。

とにかく真剣だから、気を緩めてはいけないから安心するようなことは言わないのです。

 

そして先生のお話が始まるのですが…。

 

ホッとした生徒の数人がちょっと無駄話したり、笑顔を見せようものなら暴力先生が首根っこをつかみ、

 

「今、お前は白い歯を見せたな!」

 

と平手打ちです。

 

本当に恐ろしかったです。

気をぬくことはできませんでした。

 

ところがです。

 

都会に引っ越してきてびっくりしました。

 

避難訓練のゆるさにです。

 

もうゆるゆる〜です。

 

コツメちゃんの小学校は、引き取り訓練の日は何時から何時の間に親御さんは引き取りに来てください、と言われます。

迎えに行くとお母さんたち廊下でおしゃべり。

先生も入り口に立って名簿を確認し、

 

「〇〇さーん」

 

と呼んで保護者に引き渡しておしまいです。

教室では子供達は机に座って待っているものの、ニコニコしています。おしゃべりしても平手打ちされることはありません。

私は平手打ちのトラウマであまりのゆるさにドキドキしてしまいます。

でも先生が怒っていないのでホッとします。

 

帰り道は親子でわいわいごったがえしています。

 

平手打ちはないとしても、あまりにゆるすぎて意味あるのかなぁと思います。

だいたい非常時は教室ではなく、校庭でひきとりだと思うのです。

 

東関東大震災後も引き取り訓練のゆるさは変わりません。

 

あの当日も学校の判断はひどかった。

そのお話はまたいつか♪(´ε` )

 

 

学んだことは

 

自分のことは自分で守るということだった

 

コツメの母さん。でした!